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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(14)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
一、平壌開拓の日々

▲金元弼先生

聖主教と腹中教

 先生が平壌に来られたとき、平壌には再臨の主を迎えるための準備をしていた集団が、既にその340年前からありました。平壌は「東洋のエルサレム」と言われ、至る所に神から直接啓示を受けた人がいたのですが、その中に聖主(ソンヂュ)教というのがありました。金聖道(キㇺ・ソンド)教主がつくった教団です。

 その集団では、神が直接その集団の中心者である婦人に、いろいろと真理の啓示を与えていました。そこでは、人間の根本の罪は何であるか、また、どうしてイエス様は十字架につかれたのか、そのイエス様の十字架は既定事実であったのか、そうでなければ人間が不信した結果として生じたものであるかということです。また、メシヤは雲に乗って再臨するのか、普通の人の子として再臨してくるのかということに対しても、一つ一つ教えてくださいました。

 その婦人は、何の教育も受けていない田舎の婦人でした。それゆえにその婦人は、神の啓示は受けるけれども、原理的になぜそうであるかということに対しては、全く分かっていなかったのです。その話は、キリスト教の信者においては受け入れ難い内容でした。しかしながら、いろいろとたくさんの奇跡を行っていましたので、その言葉を疑うことは難しかったのです。実際には、聖書的に証されていない内容のゆえに、大変な迫害を受けました。

 先生が来られた平壌には、そういう流れをくんだ集団がありました。この集団では、「再臨の主は韓国の人としてこの国に来られる」と、啓示の内容を表明しました。

 この集団の信者は全国から集まって、常に自分のすべての真心と財産を捧げ尽くし、その再臨の主を迎えるために具体的な準備をしていました。イエス様の時代には、人々がイエス様を信じられなくて、イエス様は馬小屋で生まれなければならず、ヨセフは誕生日が来ても何も祝わないし、村の友達がお祭りの時に良い着物を着ているのに、イエス様だけは着たいものも着られず、学校にも行けなかった恨みがあったというのです。イエス様が再び来られた時、そのようなことにならないように、イエス様が生まれる時から亡くなられるまでの家具やら衣類など、すべてを準備していました。それも東洋式と西洋式で、全部準備していました。聖主教の婦人の流れをくんだ中年の婦人が、この準備をしていました。

 その許(ホ)ホビン女史にイエス様が現れて、「私があなたにお告げをする時には、ちょうど母親のおなかの中にいる子供が動くように、あなたのおなかにそういう兆候が現れる。そうしたら、私があなたに現れていろいろお告げをするでしょう」と言われました。それで「腹中(ポㇰチュン)教」という名前もあったのです。

 ある時、イエス様が現れて、「自分がこの世にいた時、あれほど寂しい生活はなかった。食べたい物があっても食べられない、着たい物があっても着られない、学びたいけれども学校に行って学ぶこともできなかった」と寂しかった時のことを、直接彼女を通して話してくださったそうです。

 この話をしてくださった時、彼女は、イエス様がお気の毒で、本当に泣かされて泣かされてならなかったのでした。そこでその集団では、その恨みを晴らしてさしあげなければいけない、再臨のメシヤを迎える時には、絶対に過去にあったようなことがあってはいけないということで、万全の準備をしたのです。再臨のメシヤを迎えることによって、そういったメシヤの恨みを晴らせるということです。そのため、準備をするのに、本当に心を尽くしたのです。

 着物を作るにしても、準備する人は身を清め、そして着物を作る部屋を清め、物を買うにしても、絶対に誰も手をつけていない新しい布を買ってきたのです。物を買うにしても、値段をまけさせるということはしませんでした。その理由が分かりますか。

 メシヤはこの上もない貴重なお方ですから、メシヤが着る着物を準備する人の心は、お金があれば金の着物を作りたいのが願いです。メシヤが着る着物ですから、高いということはあり得ないのです。メシヤの価値に比べたら、すべての物は、あまりにも、あまりにも、安いものであると考えたのです。高いからまけてもらうということは、心が許さなかったのです。そして着物を作り始めるにしても、その当時は機械がなかったので、全部手で縫ったのです。心を込めて針で縫ったのです。もし着物を作っているところに子供が入ってきて、作っている着物に触れでもしたら、また、やり直さなければなりませんでした。

 ある時、その集団では、再臨のメシヤがかぶる韓国古来の帽子を作ることになりました。ところが、それは北の平壌にはありません。そこで南のソウルに行って、それを有名な人に作ってもらい、平壌まで運ばなければなりませんでした。汽車に乗って持ち運ばなければなりませんが、帽子を荷物の上に置くこともできないし、またほかのいろいろな所に置くこともできません。ですから頭の上に掲げて、持って来たのです。10時間以上もかかる汽車の道のりを、二人の人が支えて、そのようにして運んだことを見ても、どれほど心を込めて作り、準備していたかということが分かると思います。

 また、食卓を準備する時には、メシヤをそこに迎えたのと同じ思いで準備し、食事をしました。ですから彼らは、常に霊的にもメシヤと共に生活をしたのです。特にこの人たちは、全国から集まって、祝祭日の日を共に過ごし、歌ったり、あるいは、恵みの中に踊ったりして喜びを分かち合っていました。ちょうど1946年ころに、神は霊能者を通して啓示し、牢屋の中で再臨の主を迎えるであろうと、常に教えてくださいました。

 韓国には、「春香伝(チュンヒャンヂョン)」という李朝中期に作られた物語があります。その主人公と同じように、「お前は、牢屋の中で再臨の主を迎えるようになるだろう」と教えてもらいました。第二次世界大戦が終わった時のことです。

 またイエス様は、「お前たちの集団の幹部は、自分たちで集まろうとせずとも、全部が集まるようになることが起こるであろう。その時に、お前たちを迎えに行くだろう」とお告げをしました。彼らを迎えに来るというのですから、再臨のメシヤが迎えに来るに違いないと思っていました。

 また、イエス様は、中年の婦人を指して、「来たるべき再臨の主の前において、お前がその花嫁になるだろう」と教えていました。

 「春香伝」の内容というのは、妓生(キーセン)の娘、春香と両班(ヤンパン)の息子、李夢龍(イ・モンヨン)が約婚をするのですが、国の試験に合格すれば大きな職を与えられるという儒教の科挙制度の一つがあって、だんなさんは、そのために勉強をしに行くようになります。

 そして春香は、主人が成功して帰るまで待つようになります。結局は、その主人は成功して帰るのですが、その間に、この地方の悪い長官(卞使道:ピョンサト)が、春香に「妾(めかけ)になれ」と強いて言い寄りました。けれども、それを拒まれたので、長官は怒って、春香を殺そうとして牢屋にぶち込んだのです。

 そういうところにたまたま、彼女の主人が科挙に合格して、ふるさとに帰ってくるのです。その主人はふるさとに帰る時に、王様から巡回、暗行御史(アメンオンサ)に任命されて地方を回り、悪い政治を行う人たちを治めるための密使のような使命をもっていたので、乞食の姿で現れました。そして、ちょうど自分のフィアンセが殺されようとする、その時に彼が現れます。乞食の姿で牢屋に行く場面があります。

 「私は乞食になって、何も成功しないで帰ったのだ」と言った時、春香が言う有名な言葉があります。「あなたが乞食であるにしろ、乞食でないにしろ、あなたは、私のだんな様でございます。私の愛そのものです」と言って牢屋の中で別れるのです。そして死に直面した時に、この男が乞食の衣を脱いで、堂々と現れるのです。こうしてついに、その地方の悪い官吏を取り除いて、妻を救って、二人が再び会う場面があります。

 それは、再臨のメシヤが王の王として来られるけれども、私たちのような俗人の立場で現れ、そして信仰者はイエス様の相対(新婦)になり、非常に多くのサタンの迫害の中で信仰を守りながらメシヤを迎える、というのと同じような内容です。「春香伝」のストーリーにあるように、再臨の主を牢屋で迎えるだろうと教わっていたのでした。

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 次回は、「大同保安署へ連行される」をお届けします。


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