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新・熱き祈祷のすすめ 22

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「新・熱き祈祷のすすめ」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 祈りの必要性や祈りの種類、実践方法をまとめた祈祷の手引書です。

松本 雄司・著

(光言社・刊『新・熱き祈祷のすすめ』より)

第五章 祈りの実践

6 祈祷は「祈闘」である

 突破口を開く糸口になったのは、佐藤牧師の「祈祷は祈闘である」という言葉です。

 神に通じたいと願う私たちに対して、何としても通じさせまいとする存在があることが分かったのです。神と私たちの間に壁を築いて、私たちが神に通じようとすることをあきらめさせようとする力が働いている事実に出くわすわけです。言うまでもなく、その勢力の主体はサタンであり、具体的にはそのサタンの支配下にあって霊界で働くもろもろの悪霊人です。

 私たちは神の存在を実感として知ることが重要ですが、同時にサタンの存在も実感として知ることができます。本格的に神に祈る者にとっては、サタンは観念的な存在ではありません。具体的に出くわす霊的力、パワーとして感ずる存在なのです。神に通じることをあきらめさせ、Uターンさせようとサタンは働いてきます。これとの闘いがあるのです。様々に仕掛けてくるこのサタンの妨害をいかに突破するかが、祈祷を突破していく秘訣となります。

 第一に、祈っていくと、まずやって来るのが眠気です。なぜかは分からないのですが、とにかく祈り始めると眠くなり、やめるとすっきりする。そんな体験をしたことはありませんか。

 第二に、雑念がわいてきます。あることを祈っていたはずなのに、ふと気がつくと、全然関係ないことを考えているのです。祈りが雑念に紛らわされてしまっているわけです。

 第三に、不急の用事を思い出します。急でない用事を思い出すということです。祈っている途中でいろいろなことが思い浮かんでくるのです。「あの人に電話しておかなければいけない」、「あのことはこういうふうに言っておかなければ」、「ああ、あの鍋のふたを何とかしなければ……」。そして、「早くやらなければいけない」と思い込まされて、「アーメン」と言って祈りを途中で切り上げて飛んでいきます。しかし、あとでよくよく考えてみると、五分や十分遅れても全然影響のないことなのです。サタンに完全にやられてしまったわけです。

 第四に、重圧感という形で来ます。これは祈りの中で、誰もが体験することだと思います。祈っているとある霊的な圧迫感がきて、何かいたたまれないような気持ちになり、早く祈祷を終えたい、早くこの場を去りたい、という思いに追い込まれるのです。たいていはこれに負けてしまい、「アーメン」と言ってしまいます。残念ながら、突破口を開けないままの祈祷に終わってしまうのです。

 第五に、焦燥感です。いらいらが来るわけです。「祈っても通じないのではないか」と思いながらの祈りでは、なかなか力が入りません。「通じない祈りだったら、実践したほうがいいのではないか。でもやっぱり祈らなければならないのだろうか……」。こう考えながら祈ったとしても、いらいらするだけなのです。なぜか焦らされ、わずかな時間を耐えることができなくなってしまうのです。

 このような形で、サタンは私たちに妨害を仕掛けてきます。その目的は、私たちが神に通じようとすることをあきらめさせるところにあるのです。では、なぜサタンは祈りに対して働き掛け、妨害するのでしょうか。それには理由があるはずです。

 サタンは、私たちが真理のみ言(ことば)に触れようとする時には、み言に触れないように働きます。み言を聞いた場合には、み言が悟れないように働きます。悟ってしまったならば、今度はこの道に献身しないように働き掛けるのです。み旨に没頭するようになってしまったら、祈りをしないように働きます。祈りをすれば、祈っても決して神に通じないように働いてきます。

 なぜなら、飢え渇ききった私たちの魂がひとたび神に出会い、生きて働く神、心情の神、親なる神の深い愛に実感として触れた時、もはやいかなるものをもってしても、その神と私との関係を引き裂くことはできないことを、誰よりも知っているのがサタンだからです。最終的には神の心情を知らせず、親の愛を味わわせないために、サタンは働いてくるのです。祈りの重要性を実によく知っているのがサタンであるといえます。だからこそ、祈りそのものを取り去っていこうとするのです。では、このような妨害といかに闘って突破口を開いていったらよいのでしょうか。

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 次回は、「具体的な闘い方 ①絶対に眠らない」をお届けします。


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