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松本雄司氏の
夫婦愛を育てる16のポイント 36
14「鏡」としての相対者①

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第15弾として、「夫婦愛を育てる16のポイント」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 『愛の知恵袋』でおなじみの松本雄司氏が『祝福家庭』誌に連載していた「夫婦愛を育てるために」の書籍版です。男と女の違いから夫婦の愛・夫婦生活に至るまで、ポイントを分かりやすく解説し、まとめています。

松本 雄司・著

(光言社・刊『夫婦愛を育てる16のポイント』より)

「鏡」としての相対者

相手に問題がある?
 「祝福の価値は分かっているつもりなんですが、どうしても相対者を愛せません。なぜか分かりませんが、とにかく好きになれません。心の中から、“許せない”というような思いがわいてくるのです。もう今では、彼の一挙手一投足が気に入りません。こんな合わない者同士が一緒に暮らしていっても、いつか、愛し合える日が来るんでしょうか」

 その婦人は、思い詰めたような、そして、闘い疲れたような表情で、話してきました。

 皆さんは、このような悩みをもったことはないでしょうか。男性にも、女性にもあり得ることです。こんな時、「自分が問題だ。すべては自分の責任だ」と本気で考えられる人がいれば、その方は、実に高邁(こうまい)な信仰の持ち主と言えるでしょう。

 しかし、普段の我々は、なかなかそのようには考えられません。夫婦がうまくいかなかった時、私たちはどうしても“相手に問題がある”と考えがちです。相手の言葉や態度によって、自分が傷つくからです。当然、自分が不愉快になるので、反撃的に相手に言い返します。そうすると、相手はもっと傷つくようなことを言ってきます。こうして、非難の応酬が繰り返されれば、二人の関係は、冷え込んでしまいます。

絶体絶命の窮地
 私たちは、「どう見ても自分のほうが被害者だ。相手が一言でも謝らなければ許せない」と感じています。ところが、実は、相手も全く同様に「こんなに傷ついている自分が被害者だ。相手が謝ってくるまでは、許せない」と思っています。お互いに、「自分のほうから謝るなんて、到底できない」という気持ちですから、意地の張り合いはずっと続きます。

 世の夫婦であれば、さっさと“離婚”という手段もありますが、神様の前に永遠の愛を誓った者としては、そのことは考えられません。まさしく、“前は紅海、後ろはパロの軍勢”、絶体絶命の窮地に立つ心境です。結局、相手を恨み、呪(のろ)いながら、それを押し殺して暮らすか、あるいは、摂理や仕事に熱中して嫌(いや)なことを忘れようとするか、いずれにしても、本質的には解決になりません。

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 次回は、「『鏡』としての相対者②」をお届けします。