2026.09.13 13:00

興亡盛衰 8
30年前に発刊された『文鮮明(ムン・ソンミョン)師御夫妻メッセージ集 青年の希望』の中から、第1弾の「青年の希望」に続いて、第2弾として「興亡盛衰」のみ言をお届けします。
「膨大な文師の講話集の中から、特に日本の青年に対して希望を与えようと、日本語で語られたもの」が選ばれ、まとめられたみ言集です。
若い世代はもちろん、全世代にお読みいただきたい、読めば読むほど、元気が出てくるメッセージ集です。(一部、編集部が加筆・修正)
「興亡盛衰」のみ言は、1971年3月21日、韓国・水沢里の中央修練所において、訪韓した百余名の日本の統一教会のメンバーに対して語られた、文鮮明師の講話です。
天倫と人倫を一つにする
人間には人倫がある。人倫の母体は何か。国を愛し、家族を愛す。忠孝というのは、何につながっているか。法則につながっているのではない。情につながっているというのである。情の基盤を無視した理想観念は滅びる。希望とか、安息とか、喜びの観念は、情的基盤の上に立っている。人倫道徳を主張する者は、人情の基盤を無視した観念に立っている。それは無味乾燥である。人倫に対し、天倫がある。天倫があるということは知っているんだけれど、天の法則、天の原則、天の情を言った者は、一人もいない。
天情と人情が、いつも反発した場合はどうなるか。天情があれば人情を通じなければならない。天倫があれば、人倫を通じなければならない。こうなるのである。だから、良心の法則というものは、憲法第何条と言わなくても、良心の方では永遠に正視した立場に立っている。教えなくても、教わらなくても、それは分かるようになっている。悪いことか良いことか、みんな分かる。良心が喜ぶような情的内容は、なぜ分からないか。良心による情的内容を教わらなくても、分かるようになっているのであるけれど、その内容が分からない人がいるので、われわれが善と悪を分かるようになって、それを救ってやらねばならない。そういう人間がまだまだ残っている。そこには理論的根拠がある。
そういう立場で見た場合、神が喜ぶ主義とはどういうものか。もしも神が喜ぶ理想世界、理想圏があるならば、その理想圏、神の理想とはどういうものか。われわれにおいては、それは推し量る理想である。しかし、「こうだ、ああだ」と人間が言うような内容でもってつくることはできない。そういう理想であれば、その理想はわれわれには必要ではない。創造が問題である。創造を人間が否定してしまうことは絶対にできない。否定した場合には、崩壊とか、破滅になってしまう。そう考えてみた場合、「統一思想」は、神が喜ぶ思想であるとともに、人も喜ぶ思想である。神ばかり喜ぶ思想であったなら、神は孤独の神である。
いくら偉い神としても、一人では何もできない。もし、あなたたちが日本一の学者になったとする。そして一人ぼっちで図書館で座って、「ああうれしい」と、何もないけれど大声で笑っている。こういうのは、どうなったというの。「頭が回ってしまった。気違いになってしまった」と言う。神はいかに絶対なる神でも、いくらささいな被造物を中心として喜びを得たとしても、神の権威は落ちないというのである。相対者がいなければ、神は滅亡である。希望がない。発展の要因も、満足もない。全てがない。男がいくら理想を持ったとしても、女なくして何もない。男がいくら世界を救う自信があるといっても、女なくしては、おしまいである。その理想を、女と替えるか。「替える」と言う。それは何を意味するか。実体の相対者は、何より貴い。そうしたら女の価値が上がる。女が、歴史上たたえて余りある美人であるとして、男なくしては大変になる。その顔もいらないという。貴いもの全てをやっても、替えるという。相対者なきところには、希望も何もない。
絶対という言葉は、相対を認定しての言葉である。否認しての言葉ではない。絶対というのは、もう既に相対関係を言ってしまった結果の言葉である。相対があるから絶対がある。神様の希望というのは、神様ばかりの希望ではない。それではかわいそうな神様である。人間ばかりの、世界を中心としての希望を持っても、神は世界一の、天宙を主管する神様であるから、その人間自体の理想には、神様はびくともしない。そうであれば人間は、最後には落胆してしまう。「あなたと共同作戦し、世界的に共同して、つくり上げる理想はないでしょうか」、そう聞くようになる。神があるとすれば、そうならざるを得ない。
結局、人間だけの結果の世界を願うのではなくして、神と共同して協議してつくる世界を、自然と願う。そういう方面から見ると、「統一思想」たるものは、善人を乗り越えて、天上と地上、天倫と人倫が一つとなり、男、女を中心として一つとなるものである。偉大な発見といえば、偉大だ。それを妨げる者はいずこにいるか。
「統一思想」によって祝福された家庭を否認する家庭は、それ以上の理論と、それ以上の理想の基盤を持った者でなければ、それは信じられない。
このように考えた場合、一人の男は「天地」の天を象徴し、女は地を象徴する。それらが全ての象徴の実体となる。実体ばかりではない。これらが完全に一体となれば、宇宙と完全に一体となるというのである。人間だけが一体となるのではない。神も喜びで一体となる。その原理の根底を持った先生が素晴らしいから、素晴らしいのではない。内容が素晴らしいから、素晴らしいのである。
(続く)
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次回は、「必要な再臨思想」をお届けします。