ほぼ5分で読める統一運動 113
絶対的な愛の力による平和世界の実現を目指す統一運動

稲森 一郎

 そもそも、現代21世紀の姿は何か変であると感じる人々が多いのはなぜか。異常な貧富の格差社会であるとか、自然災害の多発であるとか、争いごと、対立、闘争、戦争といった悲惨な出来事とかが、一向になくならず、これほど世界中にまん延し、ニュースに登場しない日はないという時代はかつてありませんでした。

 科学が発達し、人々の暮らしも昔よりずっと快適になり、飢え渇くことも少なくなったという現代において、なお争うことを止めない人類の姿は、まさしく罪業の深い人間たちの生きざまを表しているのだと、簡単に片付けられないものがあります。
 何かが根本的に変わらなければ、これ以上、前に進めない所に来ていると洞察することもできるでしょう。

 キリスト教は愛なる神を説き、旧教(カトリック)、新教(プロテスタント)を問わず、宣教師たちは世界の果てまで教えを延べ伝え、キリスト教文明が世界を支配する趨勢となったにもかかわらず、そのキリスト教国の影響圏内で、戦争が少なくないのも皮肉な話です。

 愛なる神の本質は、まさに「愛」をどう考えるかというその解釈の深さにかかっているように思われます。
 統一運動の創始者、文鮮明(ムン・ソンミョン)師の次の言葉は、愛とは何か、愛を本質とする神とは何かについて深く考えさせられます。

 「絶対的な神様も、愛を中心としては絶対服従しようとされるのです。これは、キリスト教の神学にはない言葉です。力の世界を中心として見てみるとき、キリスト教文化圏は多くの血を流しました。力さえ保持すればみなできると考えるのです。『神様は思いどおりにすることができる』と考えました。それが誤っていたのです」(天一国経典『天聖経』、68ページ)

 力(武力、軍事的手段)によって、植民地争奪戦を繰り広げた欧米諸国は、愛(平和、対話、学問、徳、発展のためのさまざまな支援)を実践することを忘れてしまいました。奪い取ること、搾取しか考えなかったのです。植民地の時代は過ぎ去ったとはいえ、現在でも、欧米諸国は軍事力優位の考えを捨て切れないでいます。本当に愛を実践することは難しいことです。

 では、どのように愛についての考えを改めればよいのでしょうか。
 文師の言葉です。

 「絶対的な力を主張する神様も、愛が定着できる所、愛が立つことができる所を求められるのです。神様も、絶対的に愛を好むのです。…神様は、すべてのものを捨てたとしても、愛を中心として絶対服従しようとするというのです」(同、6869ページ)

 この言葉は、愛を最高位に置いて愛に従う神様であるという意味ですが、これは、愛が究極の本質である神が神の本質に従っているということです。
 どこまで行っても神は愛であり、愛の本質から神が逸脱することはないという神ご自身の絶対宣言です。

 これほどまでの神の愛の徹底ぶりをキリスト教が自覚していれば、キリスト教国家が力(武力)を頼りにして前面に押し立てることなどできなかったでしょう。もっと平和的なやり方を考えたはずです。

 統一運動は、文師の考えを全面的に相続した妻の韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁が、統一運動のビジョンである世界平和を絶対愛によって実現しようとしています。それが統一運動の実際です。

 韓国のソウル中央地裁において、懲役2年の一審判決を受けた韓総裁は、絶対に諦めることのない強固な意志で世界平和を実現する姿勢であり、世界の信者たちも韓総裁と共に絶対信仰、絶対愛でまい進する覚悟です。

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