共産主義の新しいカタチ 100

 現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
 国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)

クレムリンの闘争と盟友との対立
パルミーロ・トリアッティ(中)➁

コミンテルン分裂を危惧したグラムシ
 1920年のミラノのアルファロメオ工場の労働者評議会による占拠事件、21年の社会党(PSI)の脱退と共産党(PCI)結党、22年のムッソリーニ政権の誕生と続き、26年のリヨンでの党大会直後にソ連に出国しコミンテルンのPCI代表となります。このコミンテルンとの関係から、トリアッティの「したたかな政治家」というキャラクターが醸成されたと見てよいでしょう。

▲パルミーロ・トリアッティ

グラムシの革命戦略をさらに「薄める」
 そこで山田薫著『イタリア共産党と戦後民主体制の形成 トリアッティの政治戦略の展開』では次のように記述されます。

 1926年夏、VKP(ソ連共産党)内部の権力闘争に勝ったスターリンやブハーリンらは、トロツキーやジノヴィエフらの反対派を党内の役職から解任し、あるいは除名した。この問題をめぐり、トリアッティとグラムシとの間に対立が発生する。トリアッティは主流派を支持していた。

 一方グラムシは、(PCI政治局の名で)1014日付の在伊ソ連大使館に宛てた書簡において、VKPがレーニンの影響の下で「……革命の原動力」と称賛しながらも、トロツキーら反対派を中傷から弁護する態度を表明。

 さらにグラムシは、トリアッティに宛てた書簡で前述の書簡をVKP関係者に直接見せないように要望したが、トリアッティはそれを裏切る形で交友関係のあるブハーリンに見せて……ブハーリンとVKP政治局は、PCIがトロツキー的路線に基づいているという疑惑を深めた。トリアッティは、グラムシの書簡がPCI政治局の名で出されたことで、PCIの前途を懸念していた。彼は、グラムシへの返信において、VKP指導集団内に発生した分裂を現実として認識し、勝者と敗者との区別を明確にすべきであり、敗者の手助けをするようなことは厳に慎むべきだ、と強い調子で忠告した。

 これに対し、グラムシの返書は非常に辛辣な論調を帯びており、VKPの統一を無傷のまま保つのは……一応認めながらも、このことは「ソ連の同志たちの政治的良心を喚起すると共に、彼らの態度が取り返しのつかない事態を招きつつある危険性を精力的に訴えることが我々の絶対的義務だ」。

グラムシを売った? トリアッティの保身
 この間のクレムリン内部での闘争とPCI(伊共産党)執行部を図式化したものが、以下のチャートになります。

 グラムシの書簡はコミンテルン最高指導部が分裂含みの内部抗争を行っている事実を危惧したものですが、あえてこれをグラムシの要望に反しブハーリンに見せたことで、トリアッティは自身がトロツキー派に肩入れしているのではという嫌疑を免れるための、いわば自己保身の所業と見なせなくもありません。

 実際にこの後、PCI関係者は、疑心暗鬼となったクレムリンからは苛烈な制裁を受けることになるのです。トリアッティにとりともかく「勝ち馬」に乗ることが先決だったのです。

「思想新聞」2026年3月1日号より

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