ザ★Q&A【人生編】7

 今回は、「人生編」の第7回をお届けします。
 掲載内容は、『応答話法集』を参考に、編集部が再編集したものです。

Q. キリスト教は神は唯一だと説いていますが、それではなぜ、今日これほど多くの宗教が存在し、キリスト教においても多くの宗派に分かれているのでしょうか。

A. 堕落によって無知に陥ってしまった人間は、長い歴史を通じて内的真理を探求してきました。しかしその過程において多様多岐にわたる宗教を誕生させることになったのです。
 なぜ多くの宗教や教派が存在するようになったのか。内的真理探求の観点から考えてみたいと思います。

 仏教では、煩脳に覆われて道理がはっきり理解できないことを無明といいますが、キリスト教でも同じような状態に陥っている人間を指して、堕落して神のもとを離れた罪人(つみびと)であると言っています。
 堕落することによって、 本来あるべき位置と状態とを失ってしまった人間は、神の存在や人間の価値、人生の目的などについて分からなくなってしまったのです。

 このように本来知るべきことが分からない、つまり無知に陥っている状態のことを、キリスト教では堕落と呼び、また仏教では無明と呼んでいるのです。
 従って今日までの長い人類の歴史は、このように無知や無明に陥ってしまった人間が、無知や無明を打開するために真理を求めてきた歴史であったといえるでしょう。

 そして人間は、心と体から成っているように、無知にも心を中心とするものに対する無知と、体を中心とするものに対する無知の両面の無知に陥っているのです。
 これを打開するために、内外両面の真理が探求されてきたわけですが、内的真理の探求が宗教および哲学であり、外的真理の探求が科学であったといえるのです。

 ではなぜ、今日宗教がこれほど多く存在するのかを考えてみましょう。

 多くの宗教が存在する一つの理由は、神の救いの摂理において、神がそれぞれの民族およびその時代の心霊に適した宗教を興され、将来来られる救い主を迎えるための準備をするようにされたためです。それぞれの民族性に合わせた宗教、すなわち仏教、儒教、ユダヤ教などが存在するようになったのです。そして、やがて来られる救い主が、超宗教、超国家、超民族、超人種の「新しい真理」を解き明かすことで、人類一家族の理想世界をもたらすためなのです。

 もう一つの理由には、「群盲撫像(群盲、象を撫〈な〉でる)」という話があります。
 盲目の人々が大きな象のそれぞれ違った部分を手で撫でてみて、鼻に触った人は象とは長細いものだと言い、胴体を触った人は壁のように広いものだと主張し、しっぽに触った人は縄のようだと言って譲らず、それぞれ自分が触れた部分をもってあたかも、象の全てであるかのように、互いに言い争ったというのです。

 この争いを解決する道は一つしかありません。目が見える人(救い主)が現れて象の全貌を示しながら、誰々が触れたのはこの部分であり、他の誰々が触れたのはあの部分であったと説明できてこそ、初めて納得がいくのです。

 無知や無明に陥った人間も、いろいろな角度から真理を探求してきたのです。
 従って、そういう諸宗教の壁が取り除かれ、争いが解決されるためには、神について明確に説明し、人間が本来在るべき位置に回復できるように導くことのできる完全な真理(新しい真理)が現れなければなりません。
 その時こそ、宗教は初めて真の目的を全うし、超宗教、超国家、超民族、超人種の理想世界を実現することができるのです。

 今日まで、キリスト教は、多くの宗教の中で中心的立場を占め、人類の3分の1の基盤を誇ってきたといえるでしょう。
 キリスト教は神と人間との関係を親と子として捉え、「神は愛なり」というように、神の愛を訴え、親と子は愛し合う関係でなければならないという、最も核心的な内容を説明しています。
 そして「キリスト」という存在なくして、人間は救われないのだということを明確に示しました。

 しかし今日、そのキリスト教も400に近い宗派に分かれています。しかもその分かれた原因は、教典である聖書の解釈の違いにあります。なぜなら、聖書は重要な部分が比喩とか象徴で語られている場合が多いからです。
 その解釈の仕方の違いが、今日のように数多くの教派が生じる原因にもなったのです。

 ですから今や聖書解釈の相違を論じて相争うよりも、聖書全巻を貫く神のみ旨の何たるかを再び問い直し、キリスト者の共通の使命を天に尋ね、教派さらには諸宗教の和合を求めて協力し合うことを考えなければならないのです。

 世界平和統一家庭連合はその意味において、広く一般のキリスト教会に神とキリストにある一致を呼びかけ、神とは何か、キリストとは、罪とは、神のみ旨とは何かなど、宗教の根本的課題を教派、宗派の枠を超えて解決するために、「統一原理」を紹介しているのです。

 統一原理がこのような現代のキリスト教をはじめ、諸宗教が抱えているさまざまな課題や悩みを解決し、全ての人々の内的要求に応え得るものであるか否かは、実際に学んでいただくしかありませんが、今あなたが抱いている疑問も、「統一原理」をひととおり学ぶ中で必ずや解決されていくに違いありません。

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 次回は、11月7日の配信を予定しております。


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