【テキスト版】
そうだったのか!人類一家族

8回 アメリカでの共産主義との闘い

ナオミ
 皆さん、こんにちは。

 「そうだったのか!人類一家族」へ、ようこそ。

 ナビゲーターの「ナオミ」です。

 「人類一家族世界」はどのようになされるのか。

 これから皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

 どうぞよろしくお願いします。

ソウタ
 こんにちは、「ソウタ」です。

 よろしくお願いします。

 僕も人類一家族世界を一日も早く実現したいと願う一人です。

ナオミ
 ソウタ君、これから数回に分けて、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生ご夫妻がどのように共産主義と闘ってこられたのかを見ていこうかな。

ソウタ
 はい、ナオミさん。
 まずはアメリカでの取り組みですね。

ナオミ
 1968年113日、文鮮明先生ご夫妻は韓国で「国際勝共連合」を創設されたの。

 文鮮明先生が48歳、韓鶴子(ハン・ハクチャ)女史が25歳の時よ。

ソウタ
 「勝共運動」は韓国から始まり、世界に展開していったんですよね。

 世界の指導者たちと一つになって、国際共産主義問題を克服する道を開くために!

ナオミ
 1971年1218日、文鮮明先生ご夫妻はアメリカに渡られたの。

ソウタ
 当時、アメリカは共産化されてもおかしくないほどに、危機的な状況に陥っていたんですよね。

 ベトナム戦争の泥沼化によってアメリカ国内では、共産主義者たちが反戦運動を起こし、大きな影響力を持つようになっていたんですね。

ナオミ
 文先生ご夫妻は全米50州で「希望の日」大講演会を敢行され、「米国が病気になっているので、それを治す医者として、また火事になっているので、その火を消す消防士として来た」とアメリカの国民に呼びかけたの。

 そして「アメリカよ、神に帰れ!」と訴えて、ベトナム戦争で疲弊したアメリカを建国精神に立ち返らせて大復興させたのね。

ソウタ
 「希望の日」講演の映像、見たことがあります。
 文鮮明先生の講演、すごい迫力ですよね。

ナオミ
 文先生は1500以上の名誉市民賞や感謝の楯、歓迎の手紙を受けられ、ニューズウィーク誌の表紙も飾ったのね。

 「レバレンド・ムーン(文牧師)」の名前は一躍アメリカで有名になったのね。

 そして197421日、文先生はホワイトハウスの大統領執務室に招待され、ニクソン大統領との単独会談も行っているわ。

ソウタ
 その頃、ニクソン大統領は窮地に陥っていたんですよね。

 国際共産主義勢力がその背後にあってベトナム反戦運動を起こし、政権を揺るがしていた。

 そして「ウォーターゲート事件」が起きた。

 ウォーターゲート事件というのは、ニクソン大統領再選委員会の関係者が野党である民主党本部に侵入して盗聴器を仕掛けようとし、それを隠蔽(いんぺい)したというスキャンダルですよね。

ナオミ
 そう。ウォーターゲート事件は大問題となり、マスコミは大統領に辞任を迫ったの。

 そのような状況の中で文先生は有力各紙に「許せ!愛せ!団結せよ!」という、1ページ全面を使った新聞の意見広告を出して、「今、アメリカは結束しなければならない」と訴えたの。

ソウタ
 だからニクソン大統領は文先生とお会いした時、こう言って文先生を迎えたんですよね。

 「あなたは偉大なる神の使者です。あなたの運動は私を非常に感動させました」

ナオミ
 文先生はそんなニクソン大統領に対して次のようなメッセージを伝えたの。

 「東南アジア1000万人の罪なき人々の命があなたに懸かっています。神の前に悔い改めてください! 死ぬ気で決断してください!」

 そしてウォーターゲート事件を解決すること、大統領を辞任しないこと、ベトナムから撤退しないことを約束するように言われたのね。

 ニクソン大統領は、「分かりました。必ずそうします」と答えたそうよ。

ソウタ
 しかし残念ながらその言葉は守られず、その半年後の1974 89日、ニクソン大統領は辞任してしまったんですよね。

ナオミ
 やがて米軍はベトナムから撤退することになるわ。

 その結果、ベトナムは共産化され、東南アジアには粛清と虐殺の嵐が吹き荒れたの。

ソウタ
 100万人の難民がボート・ピープルとして流出したんですよね。

ナオミ
 日本にも1万人以上が難民としてやって来たの。

 カンボジアではポル・ポトによる共産革命で100万人以上が虐殺されたわ。

ソウタ
 アメリカではベトナム戦争から帰国した若者たちの多くが社会復帰できず、やがて麻薬やフリーセックスに走り、ヒッピー運動の一部の流れをつくっていくんですよね。

ナオミ
 分岐点に立った中心人物の判断がその後のアメリカの行く道を大きく分けることになったのね。

ナオミ
 皆さん、いかがでしたか?

 「そうだったのか!人類一家族」

 今回はこの辺で。
 次回もお楽しみに!

 それでは、またお会いしましょう!


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