ほぼ5分で読める統一運動 47
共産主義の終焉、ソ連の崩壊を宣言

稲森 一郎

 文鮮明(ムン・ソンミョン)・韓鶴子(ハン・ハクチャ)夫妻による統一運動は、アメリカのキリスト教を復興させて人類救済の摂理的使命に立たせること、および国際共産主義を克服し屈服させること、この二つを聖使命として、夫妻はアメリカの大地を踏まれました。
 1972年以降のご夫妻のアメリカにおける歩みがそのことを雄弁に物語っています。

 文師がダンベリー刑務所へ収監された1984720日から1985820日に解放されるまでの13カ月間において、非常に大きな摂理的出来事がありました。それは、「共産主義の終焉(しゅうえん)」宣言です。

 1985813日から5日間、スイスのジュネーブで、「ソ連帝国の崩壊」をテーマに、第2回「世界平和教授アカデミー(PWPA)国際会議」が開催。
 その大会議長を任されたシカゴ大学の政治学者モートン・カプラン教授は、文師の指示に従って「共産主義の終焉」を宣言しました。

 この預言のとおり、1989119日、東ドイツの東ベルリン国境にある50余りの検問所が次々に開放され、28年ぶりに冷戦の象徴であるベルリンの壁が崩されました。
 また、199112月には、1922年から69年間存続してきた巨大な共産国家であるソビエト連邦の解体が宣言されるに至りました。これによって、共産主義体制の終焉が現実となったのです。

 米ソ対立の冷戦時代(19452月~198912月まで44年間、ヤルタからマルタまで)、ソ連は独ソ戦の勝利で得た弾道ミサイル技術と、計画経済体制で得た資金を軍拡競争につぎ込みました(GNP1318%を軍事費へ投入)。
 西側陣営に対して大きな脅威となる大陸間弾道ミサイル「R-36SS-18サタン)」を1970年代後半に開発、1980年に実戦配備したのです。

 これに対抗する形で、アメリカは1983323日、ロナルド・レーガン大統領が「戦略防衛構想(SDI=Strategic Defense Initiative)」を提唱します。

 西側に比べて経済基盤が弱かったにもかかわらず、軍拡の道を突き進んだソ連経済は疲弊し、結局、軍拡を続ける力を失ってソビエト連邦の崩壊の一因となりました。

 レーガン大統領がSDIに力を注いだ背景には、ワシントン・タイムズを通して、SDIを推進するように文師が激励されたことがありました。
 文師とレーガン大統領の一体化によって、文師の預言である「共産主義の終焉」はその言葉のとおりに成就しました。

 「お父様がダンベリーの監獄に入っていた1984年までのアメリカでの12年間は、完全に共産化される方向に向かっていた期間でした。その流れをお父様が変えたのです」(天一国経典『真の父母経』、902ページ)と語られた文師の言葉は、そのとおりになりました。

 「共産勢力がアメリカを完全に足の裏で踏みつける限界の時が、1984年です。サタンはその時、お父様を監獄に放り込めば、自分の思いどおりになると思っていました。しかし、そのようにはならないというのです。お父様は法廷闘争をしながら『ワシントン・タイムズ』をつくり、『ソ連は滅亡するしかない』ということを発表したのです」(同、903ページ)という文師の言葉に偽りはありませんでした。
 共産主義は70数を越えられない(19221991)という神の摂理の数理法則を見通しておられたのです。

 2025年の現在の状況は、残った共産主義国家の中国と北朝鮮が倒れるのも時間の問題になっているということでしょう。


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