夫婦愛を育む 150
全てを委ねて愛される存在に

ナビゲーター:橘 幸世

 妻は夫に対して時に母のように、時に娘のようにならなければならない、と真のお父様(文鮮明先生)は語られました。

 母のように振る舞うのは(振る舞い方の善しあしは別として)それなりにできる女性は多いと思いますが、娘のように振る舞うのを苦手とする人は少なくないようです。

 婦人向け講座で、皆の愛を一身に受けている3、4歳の女の子を研究しましょうとお話ししていますが、考えてみれば、「幼な子のようになれ」とは既に2000年以上前にイエス様が言われています(この場合は、天国に入るため、神様との関係について話されたものですが…)。

 「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう」(マタイによる福音書 第18章3節)

 言うまでもなく、この「幼な子のよう」は未熟さではなく、素直さ、オープンマインド、信じて疑わない心を意味しています。

 幼な子は親の愛情を疑いません。自分に必要なものを与えてくれると信じています。おなかがすけば泣きますし、不快ならぐずります。世話をする親は大変ですが、無垢な笑顔に励まされ、大きな力、無上の喜びをもらいます。
 全てを委ねて愛される心――そんな姿に神様も大きな喜びを感じられるのかもしれません。

 幼な子は、自分を駄目な子だ、愛される資格がない、などと自己評価しません。
 わが子がそんな思いでいれば、親は胸が痛みますね。

 私がヨーロッパで宣教活動をしていた時、活動資金をつくる必要がありました。
 現地の兄弟(教会員)に方法を相談すると、「あなたは伝道に来たのだから、それに専念したらいい。自分が支援するから」という思わぬ答えに驚き胸打たれました。
 とても有り難い申し出でしたが、気持ちだけ受け取って、方法を指南してもらい取り組みました。

 ある晩、なかなかうまくいかない時がありました。私は何も深く考えず、神様にこんなふうに祈って(?)いました。

 「ちょっと、お父様。しっかりしてよ! 私はいいわよ、うまくいかなくても。でも困るのはお父様でしょ!?」(その分、伝道の時間が減るので)

 神様にそんな言い方なんてと眉をひそめる人もいるかもしれませんが、直後からスイスイと事が進み、予定時間内で終わることができました。
 幼い娘の訴えを聞いてくださった、私にとっては忘れられない思い出です。

 男性は神様の実体、女性は神様の妻とも真のお父様は言われました。女性は神様に対しても、神様の実体である夫に対しても、幼な子のような信頼を寄せることが肝要なのかもしれません。


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