世界はどこに向かうのか
~情報分析者の視点~

ミャンマーでクーデター
影響力増す中国

渡邊 芳雄(国際平和研究所所長)

 今回は2月1日から7日までを振り返ります。

 この間以下のような出来事がありました。
 ミャンマーで軍によるクーデター(1日)。中国、「海警法」施行(1日)。緊急事態宣言の延長発表(2日)。米露、新START(戦略兵器削減条約)の5年延長正式合意(3日)。スーチー氏即時解放を/安保理(4日)、などです。

 ミャンマーで2月1日未明、国軍によるクーデターが起こりました。
 当日は、昨年11月に行われた総選挙後初の国会が開かれる予定でした。軍が政権与党・国民民主連盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー国家顧問らを拘束したのです。

 背景にあるのは昨年の総選挙です。与党NLDが、改選議席の8割を超える396議席を獲得し、軍人枠が4分の1を占める国会で単独過半数を制する圧勝をし、国軍系最大野党・連邦団結発展党(USDP)は議席を41から33に減らす惨敗となったのです。

 軍は昨年11月の総選挙で不正があったと主張しNLDとの対立を深めていました。海外の選挙監視団体(日本も参加)は、選挙はおおむね公正だったと評価し、選挙管理委員会も国軍の申し立てを退けたのです。

 実は軍とNLDの対立は、「投票方法」を巡って投票前から起きていました。軍は軍施設内の投票所開設を要求しましたが、与党の反対で禁止されました。NLD側には、投票所が軍施設外にあれば軍に所属する人間もNLDに投票できるとの考えがあったのです。軍の立場から見れば挑発的な決定でした。

 他にも、軍への支持が多い少数民族武装勢力と国軍が衝突する西部ラカイン州での選挙実施や選挙日程調整など、軍部の要求は次々と「門前払い」され、政府・選管の対応に軍の不満が高まっていたのです。

 政策的な争点は憲法改正でした。現憲法は軍事政権時代に作られました。軍の政治支配が長く続いたミャンマーで、議会の軍人枠規定(国会の4分の1の議席は軍人)は2011年の民政移管後も軍の影響力を保つ足掛かりで、簡単には手放せないものでした。

 しかし与党NLDは、この規定(軍人枠)こそが真の民主化を妨げる元凶だとして2019年1月に改憲に向けた委員会の設置を国会で可決したのです。改憲には国会の4分の3超の賛成が必要であり、軍人議員の全員が反対すれば改憲案の否決は可能です。しかし2015年、2020年と、総選挙で連続惨敗し軍は追い詰められていました。

 国連や欧米諸国は厳しくクーデターを批判し、制裁の可能性を示唆する意見も出ています。しかし一枚岩ではありません。
 国連安保理は2月1日、非公開の緊急会合を開催し、安保理として一致した対応を取ろうとしましたが、中国とロシアは「さらに(考慮の)時間が必要だ」との意見を表明。報道声明さえ出せませんでした。

 今後、中国の影響力が増すのは必至です。昨年、習近平主席がミャンマーを訪問。経済協力と共に「運命共同体の構築」をうたいました。
 もともと中国は軍政時代のミャンマーと蜜月関係にありました。少なくとも中国は、権威主義的な国に回帰しようとしている事態を歓迎しているのは間違いありません。

 今後、日本の対応が注目されます。茂木外相は1日、重大な懸念を表明しスーチー氏らの解放を求める談話を発表しました。
 日本はこれまで、経済支援を通じて民主化を支援してきました。そしてイスラム系少数民族ロヒンギャ問題で国連人権理事会の非難決議の採択を棄権するなど、これまで米欧と異なる対応をしてきた経緯があります。

 西側諸国の中で、国軍と話ができるのは日本くらいともいわれています。
 人権を重視するバイデン政権とどのように連携するのか。ミャンマー問題が新たな日米関係の試金石になる可能性もあるのです。