夫婦愛を育む 148
もうここまで来たのだから、もう一歩…

ナビゲーター:橘 幸世

 コロナの第3波の中にあって再び自粛ムードが高まり、家にいる時間が増えました。
 この機会を自己充電に活用すればいいのでしょうが(手当たり次第本を読むことにした、という知人もいます)、名作と呼ばれる類のものに思いはあっても手を出すほどのエネルギーはなく、昔読んだ小説を引っ張り出したりしています(われながら時間の使い方はお粗末です)。

 最近手に取ったのが、シドニー・シェルダンのベストセラー『ゲームの達人』です。
 20年以上前に読んだので、覚えているのは面白かったことと、序盤の、スコットランド出身の青年がダイヤモンドで一獲千金を狙って南アフリカに渡り、苦難の末に巨万の富を手に入れるシーンくらいです。

 彼は灼熱の砂漠をたった一人荷物を背負って何日も歩き続けます。体力の限界はとうに越え、希望と不安が交錯する中、孤独との闘いも半端ありません。何度も崩れ落ち、このまま歩みを止めて眠りに就いたら楽になる、という誘惑が襲います。そんな自分に「さあ、もう一歩」「ほら、もう一歩」と語り掛け続け、二日後彼は集落にたどり着きます。

 この部分を読んだ時はあくまでも架空のスリリングなアドベンチャー・ストーリーとして、特に自分と結び付けることはありませんでしたが、翌日の訓読時に以下の言葉が目に留まりました。

 「もうここまで来たのだから、もう一歩、もうしばらく我慢してでも天の国に入って…」(「真の愛を中心とした本然のエデン」1984年5月27日、『御旨と世界』1000ページ)

 これは、イエス様が来られるまでの2000年間を選民として神の願いを背負ってきたイスラエル民族に関して語られたものですが、現在の自分たちにも重なるように感じました。
 年齢を重ね、体力面での衰えも顕著となり、先の不安もあります。それでも一歩、小さくても一歩、前に進む歩みが命につながるのだと感じます。

 小説の中ではありますが、砂漠を進んだ青年にとって、歩みを止めることは死を意味しました。幸い私たちは、多少歩みを止めても命に関わるまではなりませんし(おそらく)、サポートしてくれる仲間がいます。

 ダイヤモンドを夢見て世界中から南アフリカに押し寄せた人々は、一握りの幸運な者を除いて、すぐに厳しい現実に直面し、挫折を重ねる中で熱情が失われて行きました。
 「悲観的な人は去り、楽観的な人が進んで行った」と作者は記しています。

 世界中が不安に覆われ閉塞感に包まれている中にあっても、信仰と希望をもって進めと、改めて神様から言われているような気がしました。


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