(『祝福家庭』69号)
【第1祝福】「個性完成」

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 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第1祝福】
「孝」に関するみ言(3)

 孝子は、自分のためにいるのではなく、父母だけのためにいるのです。忠臣は、自分のためにいるのではなく、国王のためにいるのです。聖人は、神様だけのためにいるのです。それゆえに聖人は、神様の道理を教えてあげました。
 それでは、神様の願いとは何でしょうか。世界を救うことです。神様の事情とは何でしょうか。息子、娘を愛したいと思っていらっしゃるということです。神様の愛の願いとは何でしょうか。その愛に酔って暮らしたいと思っていらっしゃるのが、神様の愛の願いです。
 それゆえに、神様の願いと事情と心情に通じなければなりません。それに通じなければ、孝子になることはできません。それが統一教会の骨子となる思想です。神様の事情を知ろうという人が、神様がいるのかいないのか分からなくてもいいのですか。神様の願いが何なのか分からなくて、孝子になることができますか。
 神様の心情が悲しいのかうれしいのか分からなくて、孝子になることができますか。到底不可能な話です。孝子になる道は簡単です。父母のより多くの苦しみに自分が責任をもとうという立場が孝子となる道です。
(『文鮮明先生御言選集』第62巻61頁、1972・9・10)


 本当の孝子は、豊かに暮らしている家からは出てきません。それを知らなければなりません。
 父母が飢えていて、弟が飢えているのを見る時、母が自分の御飯を弟に与えている姿を、その息子、娘は夜を明かしながら見つめ、骨身にしみるほど知っています。弟をあのように愛しているので、自分も母に倣って、その弟に一銭でも多く助けてあげようと思い、自分の御飯を先に母に分け与えるようになる時、孝子圏、孝子の環境が生まれるのです。自分だけのために生きる人は、すべて追放されるのです。
 このような観点から見るとき、孝子が行く道は、「ため」に生きる道です。本当の孝子になる道は、「ため」に生きることです。
(同第286巻282頁、1997・8・13)