(『祝福家庭』69号)
【第1祝福】「個性完成」

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 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第1祝福】
「孝」に関するみ言(2)

 自分の息子、娘を教育する時に、父と母だけを愛する息子、娘になりなさいと教えてはいけません。「私は、この国を愛する忠臣だ。愛国者だ。母としての愛国者ではなく、愛国者としての母、忠臣としての父だ」と教育しなければなりません。孝の道を教えるときも、父母が孝の道を行く姿を見せてあげなければなりません。そのようにできない人は、秋風に散る木の葉のように落ちるのです。
(『文鮮明先生御言選集』第26巻296頁、1969・11・10)


 孝子とは、自らの立場を忘れて先に父母の事情を思い、涙を流す心情で父母のために生きる人です。忠臣とは、国家が乱世に置かれている時、自らの一身のことをすべて忘れて国王の困難を先に心配し、忠誠の道理を果たしながら生きる人です。
 自分を忘れ、自分の利益とすべてのものを犠牲にするところから、忠孝の極致が連結されるのです。
(同第37巻33頁、1970・12・22)


 孝子の中の本当の孝子とは、どのような人でしょうか。父母のために一生をすべて犠牲にし、七十歳、八十歳の高齢になるまで孝行を尽くした人と、若い青春時代に父母のために生命を捧げた孝子がいるとすれば、どちらをより孝子と言うことができるでしょうか。
 いくら、七十、八十になるまで孝子の役割を果たしたとしても、青春時代に父母のために生命を捧げた孝子にはかないません。それゆえに、忠臣は、死んだのち、生命を捧げたのちに決定するのです。真の孝子も、生命を捧げる立場で決定するということを、私たちは歴史時代においてたくさん見て知っています。
(同第48巻65頁、1971・9・5)