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氏族伝道の心理学 21
真の父母様の怒りの理由

 光言社書籍シリーズで好評だった『氏族伝道の心理学』をお届けします。
 臨床心理士の大知勇治氏が、心理学の観点から氏族伝道を解き明かします。

大知 勇治・著

(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)

第2章 心の問題と復帰歴史

真の父母様の怒りの理由
 ここまで、神様の怒りについて考えてきました。このことについてお伝えすると、さらに次のような質問が出てきます。「真の父母様には、怒りがあるのですか?」。

 真の父母様は、神様の心情を解放された方であり、神を愛し、人類を愛し、万物を愛されて、愛の完成をされた方です。怒りが破壊衝動だとすれば、怒りなどもたれない方のように思われます。しかし、一方では、お父様の怒りを目の当たりにすることもあります。

 結論としては、真の父母様にも怒りがあるということであり、もっと言えば、怒りをもたざるを得ない立場にあられる方だということです。なぜ、真の父母様は怒りをもたれるのでしょうか。

 それは、二つの理由によります。一つは、蕩減復帰の観点からであり、もう一つは、私たちを守るためです。まず、あとのほうの理由から考えていきましょう。

 私たちは、今、生きて地上で役事される真の父母様と共に歩むことができる恩恵に浴しています。これは、歴史上、過去にも未来にもない素晴らしい恩恵です。しかし、一方で恩恵を受けるには責任を伴います。神様のみ旨にお父様と同参するということは、大きな責任をもたざるを得ないということです。しかし、私たちは、これまでどれほど失敗してきたことでしょうか。責任を果たせたことのほうが少ないのかもしれません。だとすれば、私たちはすでに神様の前に帰る道がなくなってしまっているのではないでしょうか。しかし、それは真の父母様の願われるところではありません。では、どのようにして、神様の前に帰る道が見いだされるのでしょうか。ここに、お父様の怒りの理由があるように思います。

 お父様が私たちを怒る、あるいは、幹部の先生が教会員を代表してお父様から怒られることにより、サタンが私たちを讒訴(ざんそ)することができなくなります。そして、私たちが、お父様の怒りに対して、感謝してそれを受け入れて、謙虚に反省した時に、再び神様のもとに帰る道が開かれるのだと思います。つまり、逆説的な印象は受けますが、私たちを守るために、お父様は怒られるのだということです。ただ、私たちを代表してそれを受けられる幹部の先生方にとっては簡単なことではないでしょうし、怒らざるを得ないお父様のご苦労を思うと、申し訳ない限りです。

 さて、真の父母様の怒りについてのもう一つの理由、そして、こちらのほうがより本質的な理由だと思われますが、蕩減復帰の観点から真の父母様は怒りをもたざるを得ない、ということについて考えていきます。

 歴史的に考えてみると、ルーシェルは怒りにより創造理想を破壊しましたし、カインも怒りを治められずに、アベルを殺しました。また、モーセも怒りにより岩を二度打って失敗しました。このように考えていくと、復帰歴史は怒りにより失敗したことが多いことがわかります。これを蕩減復帰するためには、歴史上の中心人物の誰よりも大きな怒りをお父様がもたれて、それを愛で越えていくことが必要だということになります。

 もっと言えば、神様の心情を慰められ、ルーシェルを許していくためには、お父様は神様のルーシェルに対する怒りより大きな怒りをもたれて、それを愛で越えていくことが求められます。そう考えた時、お父様は、愛を完成された方なので怒りをもたれないというわけではなく、歴史上の誰よりも大きな怒りをもたざるを得ない方だという結論になります。

 しかし、神様のルーシェルに対する怒りより大きな怒りをもつ、そういうことがあり得るのでしょうか。神様にとって、ルーシェルも被造物です。神様自身が造られたものです。そして、神様の心情の相対として天地創造を共に歩みました。神様が最も信頼していたのがルーシェルだったに違いありません。その心情が最も近かったルーシェルに裏切られて、実子であるアダムとエバを奪われ、天宙の創造理想をすべて破壊されたのです。そのような立場に置かれた神様の怒りよりも、もっと大きな怒りをもつことがあり得るとしたら、どのようなことなのでしょうか。もしそうだとしたら、お父様は神様がアダムとエバを失った悲しみよりも、もっと深い悲しみを体験されたということにもなります。そんなことがあり得るのでしょうか。

 そのヒントは、『天聖経』の中のみ言にあります。それは次のような一文です。「そこで天使長は神様に、いつ私を完成段階で愛してみたのかと聞くのです。神様もここに引っ掛かるのです。神様が完成段階の愛を天使長に施しましたか。施しませんでしたか。できなかったというのです。自由天地であるエデンの園で天使長にも完成段階の愛をし尽くしてこそ、神様も責任を果たしたといえるのです」(『天聖経』1249ページ)

 このみ言は、すさまじい内容です。これをきちんと読めば、神様は責任を果たされていないということになります。私は、このみ言は、お父様が神様に対して語られたものなのかもしれないと考えています。アダムの責任分担があるがゆえに、アダムが完成するまで、神様が完成段階の愛でサタンを愛することができなかったと考えることもできます。

 このみ言の中に、ルーシェルの怒りを考えていく手がかりがあります。

 怒り自体は、堕落によって生じたものではなく、本然の世界にもあったと述べました。それは防御反応であり、それが堕落により無知に陥るとともに、知情意のバランスが崩れ、環境からの脅威が大きくなる中で破壊衝動を強く伴うようになったということは、すでに述べたところです。

 堕落前のルーシェルの状況を考えてみると、それまで神様に一番近く愛を受けていた存在だったのに、アダムとエバがさらに大きな愛で神様から愛されているという状況の中で、ルーシェルは大きく混乱したことと思います。そうした不安定な心情の中で、ルーシェルの中に破壊衝動が生まれ、それが堕落につながったのだろうと思います。このお父様のみ言も、そうした背景をもって語られているのかもしれません。

 話を戻しますが、このみ言によれば、神様はルーシェルを愛していたが、完成段階の愛では愛していなかったということになります。ということは、もしお父様が神様の悲しみよりも深い悲しみを体験され、もっと大きな怒りをもたれる可能性があるとすれば、お父様が完成段階の愛を施した相手から裏切られ、お父様の実子が殺された、という立場に立たされた、という場合です。では、そのようなことがあったのでしょうか。また、そうした状況があったとしたら、それはいつなのでしょうか。

 このことは、モーセ路程を考えていけば答えを見つけることができます。モーセ路程はメシヤのための形象的路程なので、お父様はモーセ路程と同じような道を歩まれるからです。

 では、モーセが怒りで失敗したのはいつだったでしょうか。それは、荒野四十年路程の最後です。カナンの地を前にして、血気怒気により岩を二度打ってしまったため、モーセは失敗し、カナンの地に入れませんでした。

 もし、同じ怒りの試練がお父様にあったとすれば、それは荒野四十年路程の最後ということになります。お父様は、一九四五年から荒野四十年路程を歩まれました。その最後に何があったかと言うと、興進(フンヂン)様の昇華です。子女様方の中でも、最も孝行息子であったともいわれる興進様は、一九八四年一月二日に昇華されました。この時が、お父様が復帰歴史の中で先人たちが失敗してきた、「怒り」を越えられた時なのだと私は考えています。

 つまり、お父様は、私たち教会員を完成段階の愛で愛してくださったのです。私たちをご自身の子女として、祝福を通して、命を懸けて血統転換してくださり、生み変えてくださいました。そして、私たちは、神様がルーシェルを愛した以上の愛の基準である完成段階の愛で、お父様から愛されたのです。

 しかし、私たちは、結局、お父様を裏切り、その結果、私たち自身が興進様を殺した立場に立ってしまいました。それが私たちの姿です。ですから、私たちは、ルーシェルがアダムとエバを堕落させて神様を悲しませたことより、もっと深い悲しみを真の父母様に与え、神様がルーシェルに感じた怒りよりもっと大きな怒りの対象となったのです。私たちはこのことを明確に知らなければならないと思います。

 では、そうした悲しみと怒りの中で、真の父母様はどうされたでしょうか。

 神様は、サタンを許すことができませんでした。それは、「愛の姦夫を許す法はないのです」という先に紹介したみ言のとおりです。

 しかし、真の父母様は、興進様の昇華に際しても涙一つ見せずに天に送られ、私たちを許してくださり、さらに深く愛してくださいました。その結果、「愛勝日」が宣布され、私たちは、昇華式の恩恵を頂けるようになったのです。このように、真の父母様は、神様でさえなすことができなかった、愛の怨讐を許し、愛することに勝利されました。その結果、神様の心が癒やされ、神様の心情の解放と釈放がなされたのです。

 ですから、このような復帰歴史を考えたとき、お父様は歴史上の誰よりも大きな怒りをもたれた方であり、その怒りを真の愛で超えてこられた方なのです。

 さて、お父様の怒りについての考察は、これで終わりです。

 これまで、私たちの中にある怒りと不安について考えてきました。怒りと不安がどのようなメカニズムで心の問題を引き起こすのか、それらがアダムとエバの堕落以来、家庭等環境を通して歴史的に脈々と受け継がれてきた血統的な問題であること、さらには神様までも不安と怒りの中にあったこと、そして、真の父母様によって、神様の不安と怒りが解かれ、私たちの不安と怒りもすべて解ける時代になったこと、などです。

 では、私たちの不安と怒りを具体的にどのように解決していけばよいのでしょうか。

 どのようにすれば、解決できるのでしょうか。

 ここまでが、成約牧会カウンセリングの理論編でした。これから、実践編に入ります。どのようにして私たちの中にある不安と怒りを解決していくのか、その具体的な方法をお伝えしようと思います。

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 次回は、「創造本性と堕落性」をお届けします。


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