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統一原理127のポイント 69
イエスが神御自身であるという聖句を原理的に説明してください

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第8弾、『統一原理127のポイント~百日修練会の試験問題と模範解答から』を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。

(光言社・刊『統一原理127のポイント~百日修練会の試験問題と模範解答から』より)

第七章 キリスト論
68 イエスが神御自身であるという聖句を原理的に説明してください。(『原理講論』、258〜260ページ)

 ヨハネ福音書一四章九節から一〇節、「わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか」。

 イエスは創造目的を完成した人間として、神と一体であられるので、彼の神性から見て、彼を神ともいえます。しかし、彼は、あくまでも神御自身となることはできません。神とイエスとの関係は、心と体の関係に例えられます。体は心に似た実体対象として、心と一体をなしているので、第二の心といえますが、体はそれ自体ではありません。これと同じく、イエスも神と一体をなしているので、第二の神と言えますが、神御自身になることはできません。

 ヨハネ福音書一章一四節、「そして言(ことば)は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」。ヨハネ福音書一章一〇節、「世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた」。

 この世界はイエスによって創造されたと記録されているので、結局、イエスを創造主であると見るようになったのです。しかし、創造原理によれば、被造世界は個性を完成した人間の性相と形状を実体的に展開したものであるがゆえに、創造目的を完成した人間は、被造世界を総合した実体相であり、また、その和動の中心でもあります。ゆえに、このような意味から、この世は完成した人間によって創造されたとも言えます。したがってこのみ言は、イエスが創造目的を完成した人間であるという事実を明らかにしただけで、彼が、創造主御自身であるということを意味するものではありません。

 ヨハネ福音書八章五八節、「アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。

 イエスは血統的に見ればアブラハムの子孫ですが、彼は全人類を重生させる人間祖先として来られたので、復帰摂理の立場から見れば、アブラハムの祖先になります。したがって、このみ言も、イエスが神御自身であるという意味から言われたのではありません。

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 次回(7月19日)は、「イエスと聖霊による霊的重生について説明してください」をお届けします。