コラム・週刊Blessed Life 122
共産主義国家の運命

新海 一朗(コラムニスト)

 ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)は、19911225日に滅びました。
 ソ連はなぜ崩壊したのか。

 まず挙げられるのは、思想的要因です。
 弁証法的唯物論の誤謬(ごびゅう)、唯物史観の誤謬、マルクス経済学の誤謬、すなわち、共産主義を形成する基礎となる思想がことごとく間違っていたということです。

 次に、政治的要因です。
 これは、思想的要因において、レーニンの『国家と革命』に見られる「プロレタリア独裁」の非真理性を指摘すべきですが、それ以外に、ロシア革命で実現したソ連という国の現実の国家体制を巡る路線の違いがあったということです。

 どういうことかと言いますと、レーニンは「国家死滅論」で、いずれ共産主義国家の最終実現の姿においては、国家は存在しないという考えを持っていたのに対して、スターリンは、それは寝言であるとし、共産主義革命の実現には、「強靭(きょうじん)な独裁国家が必要である」と主張、実際、恐怖の独裁政治を行いました。この独裁政治がソ連の発展の芽をことごとく摘み取ったと言ってよいでしょう。

 もう一つは、ソ連邦の構想の違いです。
 レーニンは、ロシア共和国、コーカサス共和国、ウクライナ共和国、白ロシア共和国、これらを「横並び」にし、ソビエト社会主義共和国連邦にしようと考えましたが、スターリンはロシアが兄貴分で「上」、コーカサスの諸民族も、ウクライナの諸民族も、白ロシアの諸民族も「下」、すなわち「上下」で捉え、共和国連邦を構成するのだと主張し、実際、スターリンの上下構想で、ソ連が出来上がります。

 革命国家はロシア中心の中央集権的統一国家でなければならないという考えです。これによって、ロシアに従属した他の民族の恨みがペレストロイカで爆発、収拾がつかなくなりました。ゴルバチョフは、レーニンの横並びにしようとしましたが、うまくいきませんでした。

 経済的要因が大きく働いてソ連の崩壊が起きたということはよく知られています。社会主義経済における「労働生産性」(効率よく勤勉に働く)の問題と、「平等な給与」と「一生懸命に働く」という関係性がどうしてもうまくいかなかったのです。
 適当に働いて、同じ給与を頂くというシステムが「労働の動機」「労働のインテンシブ(徹底的に行うさま。集中的に行うさま)」につながらない致命的な欠点を持っており、それを克服することは不可能でした。

 計画経済というのも、難しいことでした。
 ゴスプラン(国家計画委員会)が、全ての経済分野における需要と供給を計り、生産を行うというあまりにも思い上がった経済活動を命じたのです。

 どうやって国民の万般にわたる需要を一方的に計算できたのでしょうか。どうやって需要に見合う供給(好み、嗜好〈しこう〉など)を適切に割り出すことができたのでしょうか。

 無理な話です。実際は、ソ連の重工業優先体質は、軍備との結び付きが強く、軍事費負担が国家予算を圧迫し、ゴルバチョフが大統領になった時、国家財政の巨大赤字を見てびっくり仰天したといいますが、その恐るべき赤字は軍拡競争から来る軍事費が作り上げた赤字だったのです。

 ソ連崩壊の要因をよく研究するならば、現在の中国共産党が陥っている「隠蔽(いんぺい)された諸矛盾」が、おのずと見えてくるはずです。