夫婦愛を育む 117
やりたいこと、やれること

ナビゲーター:橘 幸世

 コロナ危機を克服しようという中で流れた「各自ができることをする」というメッセージ。これは、この特殊な事情下に限らず大切なことだと思います。

 こうしてエッセイを書いている自分を、私は数年前までは想像だにしませんでした。高校で教壇に立つことも、教育実習をしていた学生時代も考えていませんでした。取れる免許は取っておこうくらいの気持ちだったのです。自分の人生を振り返ると、「見えざる手」なるものを感じずにはいられません。

 学生時代に統一原理を知った私は、大学を中退して活動に専念しようかと考えた時がありました。
 自分は特に英語を熱心に学びたいわけでもないし、英語ができる人はたくさんいると思ったのです。そのことを信仰の先輩に相談すると、「あなたがどう思っていようと、神様が英語を必要とするから卒業しなさい」と言われました。それでスパッと気持ちが整理され、卒業したのです。

 卒業後数年は英語が必要な環境にいませんでしたが、環故郷して高校で教える仕事に就けたのは、卒業したればこそです。高校講師としては遅いスタートでしたが、原理講義をしていたことが役に立ったのは言うまでもありません。

 他にも、出合った仕事を通して身に付けたスキルが、その後の仕事で役に立っていることがいろいろあります。無駄なものは一つもなく、皆つながっているんだと感じます。

 自分がやりたいことを仕事にして、夢をかなえ充実した人生を送れる人は一握りでしょう。自分が何をやりたいか、何に向いているか分からない、という若者はたくさんいますし、4050代になっても探し続けているという人もいるでしょう。

 以前林修さんがテレビ番組で、「やりたいこと」だけを追いかけるのではなく、まず「自分にできること」を見つけてそれをやったらいい、といった趣旨のことを言っていました。
 「できること」で社会貢献し、「やりたいこと」は趣味としてやっていく、いずれそちらの方で道が開けるかもしれない、そんな話だったと記憶しています。

 林さん自身、東大卒業後はやることなすことうまくいかず、生活のために塾講師になりました。それが自分に「できること」だったとのこと。やがて出演したCMでのフレーズが話題となり、今や著名人の仲間入りです。人生、どこでどう展開するか分からないものです。

 迷いの中にあったとしても、目の前にある「やるべきこと」「できること」を一生懸命こなしていったら、人生というスパンで見た時、「見えざる手」が働いていたことが分かる時が来るでしょう。

 私はかつて1年間の投薬治療を受けた後、落ちた体力を回復すべく医師の勧めもあって運動を始めました。
 その数カ月後、突然講演の依頼が来たのです。先方は私の事情など知る由もありません。それをこなせるだけの体力に戻っていたから入ってきた仕事だと思っています。

 学生時代、入教するに際して、私は念願だったヨーロッパ旅行を諦めました。10数年後、海外での活動先として、神様は私をヨーロッパに送られました。ちゃんとケアしていただいているんですね。