愛の知恵袋 119
赤ハチマキの聖者
(APTF『真の家庭』240号[2018年10月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

日本全国が温かい雰囲気に

 久々に明るいニュースが日本列島を包んでくれた。山口県の藤本美緒さんの三男理稀(よしき)ちゃん(2歳)が、帰省先の周防大島町で行方不明になり、3日ぶりに山中で発見された。

 理稀ちゃんは、曾祖父宅に家族で帰省していた。812日午前10時半頃、祖父の藤本正憲さんが理稀ちゃんと3歳の兄を連れて海に向かった。途中で理稀ちゃんが「家に帰りたい」と言うので、家の近くまで帰っていった理稀ちゃんの姿を確認して、兄だけを連れて海に行った。しかし、その後、理稀ちゃんの行方が分からなくなり、猛暑の中、警察や消防団など150人が必死に捜索したが14日夜まで見つからず、誰もが「もしや…」と2歳の子の命を危ぶんだ。

 15日の朝6時半頃、ボランティアで捜索に当たっていた尾畠春夫さんが、曾祖父宅から560メートル離れた山中の小さな沢で理稀ちゃんを発見した。尾畠さんに会うまで実に68時間。たった一人で暗い夜を3晩も山中で過ごした理稀ちゃんの心中はいかばかりだっただろうか。母親の美緒さんは、「正直、生きて会えないかもしれないと思っていたので、胸がいっぱいです」と言って声を詰まらせた。

周防大島町役場(ウィキペディアより/©2014 アラツク)

ボランティアに人生をかけた男

 この出来事が注目を集めたのは、2歳の子が奇跡的に助かったということだけではなかった。それを救助した一人の男に世の関心が集まったのである。

 工事現場の作業員のような恰好をし、頭には赤いタオルの鉢巻。真っ黒に日焼けした小柄な男。地元では見かけたことのない顔だったので、いぶかしく思った人もいたらしい。

 だが、この人物の過去が明らかになるにつれ、私達は大きな驚きを与えられたのである。大分県日出町に住む尾畠春夫さんは78歳。昭和14年、筆者と同じ国東市で生まれた。下駄屋を営む両親のもとに7人兄弟の4番目として誕生。小学校5年で農家に奉公に出され、中学校を出てから魚市場で修行を始めた。東京で3年間とび職をして資金をため、28歳で別府市に自分の店「魚春」を開業、65歳まで鮮魚店を営んできた。新鮮で安くて親切…と評判の店だった。

 40歳から登山を始め、北アルプスの55山を単独で縦走したこともある。60歳頃から大分県の由布岳で、登山道の整備や休憩用椅子の修理などのボランティアを始めた。

 春夫さんには妻と息子と娘、そして5人の孫がいる。65歳になったのを機に店をたたんだ。翌2006年、66歳のとき、鹿児島の佐多岬から北海道の宗谷岬まで日本列島を野宿しながら徒歩で縦断する旅に挑戦した。3300km92日間歩きぬいて遂に到着した宗谷岬には、妻のせつ子さんと孫が来て花束を渡してくれた。これらの苦労と挑戦の全ての人生経験が、春夫さんのボランティアにおける並外れた熱意と行動力につながっている。

 2011年の東日本大震災では、軽四自動車に物資を満載して、60時間かけて大分県から宮城県南三陸町に駆けつけ、以後、何回も往復して通算500日も支援活動を続けている。

 新潟県中越地震、鬼怒川堤防決壊、東日本豪雨災害、熊本大地震、九州北部豪雨災害…。どこでも、泥にまみれながら黙々と汗を流す彼の姿があった。そして、今年、山口県で理稀ちゃんを救出した後も、大分県の自宅に帰ったのは3日間だけで、また西日本豪雨被災地の広島県呉市に行って、被災家屋の泥かき作業に汗を流している。

“自己完結”と“無償奉仕”を貫く

 尾畠さんは、ボランティア仲間から師匠と呼ばれる筋金入りのおじいちゃんだったのである。ある日、記者から「奥さんは?」と聞かれて、「5年前に用事があって出かけて、まだ帰って来ない!」と笑いながら答えていた。今はお互いマイペースで暮らしているという。奥さんの気持ちもなんとなくわかる気がする。どんな夫婦でも長い結婚生活には紆余曲折はあるものだ。

 月55千円の国民年金での赤貧生活。お金がない時は11食で過ごす。それでも「恩返しをしたい。余生を困っている人のために尽くしたい!」という信念には神々しさすら感じる。

 私が特に心を打たれたのは二つの点である。第1は“自己完結”。つまり、現地の人に一切迷惑をかけないというボランティアの基本精神を完全に体現しておられる点である。

 尾畠さんはいつも軽四自動車で現地に行って車中泊。スコップなど各種の作業道具・大工道具・救急用品・寝袋・食料・水・雑貨まで、全てを持参して行くという徹底ぶりである。

 もう一つは、“無償奉仕”。一切の見返りを求めない徹底した姿勢である。

 孫を助けてもらった理稀ちゃんの祖父が尾畠さんの手を握り締めて、「ぜひ、風呂に入って汗を流して下さい」と言うと、「いいえ、入りません」。「それなら、せめて食事だけでも食べて行ってください」と言っても、「いえ、結構です」。「では、雨が降っているから、この傘を持って行ってください」と言っても、「いえ、要りません」と言って深々と礼をして帰っていく…。

 私は、ここまで無私の信念を貫いている人を見たことがない。

 “巷に聖人あり”……まさに、マザーテレサにも匹敵する奉仕精神である。

 「人間、如何に生きるべきか」ということを、深く考えさせられたのは私だけだろうか。