真理とは、「実体み言」である天地人真の父母様
第7回 今は、真のお母様がみ言を語られる時代

教理研究院

 今回は「〝真理〟とは何か」について真のお父様のみ言から考察してみます。独り子(文鮮明総裁)が語られるみ言と、独り娘(韓鶴子総裁)が語られるみ言は、いずれも神から出てきているみ言であり、矛盾はありません。しかしながら、〝矛盾しているのではないか〟と考える人もいることから、以下、この問題について論じてみることにします。
 なお、これらの内容を総合的に理解し把握するためには、「真の父母様宣布文サイト」の掲載文や映像をごらんください。
 注:真の父母様のみ言や『原理講論』『統一思想要綱』からの引用は「青い字」で表記しています。

※『世界家庭』(天一国7年天暦12月)2020年2月号より転載

四、真理のみ言は、「真の父」と「真の母」から出てくる

(1)今は、真のお母様がみ言を語られる時代
 真のお父様が地上におられたとき、お父様を通してみ言が語られてきました。しかし、お父様が聖和(ソン ファ)された後、真のお母様が説教をされるときがくることを、お父様は前もって語っておられました。
 「私が死んでも(真のお母様には)統一教会を導くことができる能力もあるので、お母様が説教する時が来るのです」(『真の御父母様の生涯路程⑩』351ページ)

 このように、真理のみ言は、今まで真のお父様を通して語られましたが、お父様が聖和された今日においては、真のお母様を通してみ言が語られているのです。すなわち、真理のみ言は「真の父」からだけでなく、「真の母」からも出てくるのです。
 ここにおいて、私たちが留意しておかなければならないことがあります。それは、全ての存在と現象の原因は神の中にあり、その結果として、被造世界の事象が存在しているという事実についてです。
 『原理講論』に「神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在」(77ページ)とあります。すなわち、神は絶対者でありながら相対的な存在でもあります。本来なら一つになれないような二つの異なる〝絶対〟と〝相対〟という要素(概念)が、神の中に内包されており、それらが統一されているのです。〝絶対〟と〝相対〟という概念自体が相いれないはずのものです。にもかかわらず、第一原因である神の中に両者が同居し、統一されています。
 また、神の相対的なものとして、性相と形状および陽性と陰性があります。それぞれ両者は二つの要素からなっています。しかしながら、統一思想は性相と形状について次のように論じています。
 「統一思想は性相と形状が本質的に異質ではないと見る。……性相は心的要素からなっているが、そこにはエネルギー的要素もあるのであり、ただ心的要素のほうがエネルギー的要素より多いだけである。また形状はエネルギー的要素からなっているが、そこには心的要素もある。エネルギー的要素のほうが心的要素よりも多いだけである。……両者共に共通に心的要素とエネルギー的要素をもっているのである」(『統一思想要綱(頭翼思想)』33ページ)

 このように、性相と形状は性・形の二つの要素ですが、神の中に両者が同居し統一されているのです。さらに、その性相と形状は、それぞれ陽性と陰性とから成り立っています。
 『原理講論』は「神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化するので、神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本形状の属性である」(46ページ)と論じています。この性相と形状の属性である陽性と陰性もまた、明るい・暗い、熱い・冷たい、固い・柔らかい、高い・低い、大きい・小さい、凸部・凹部……等々、それぞれ極と極の違う要素(性質)から成り立っています。それゆえ、被造世界の全ての事物は陽性・陰性の相対的関係を持って存在しているのです。
 前述したように、神が顕現されるとき、男性的に現れることもあれば、女性的に現れることもあります。神のみ言が語られるときも、神は男性的に語られることがあれば、女性的に語られることもあるのです。み言は唯一なる神から出てくるため、そこに矛盾はありませんが、その表現のしかたにおいては異なる表現が用いられることもありうるのです。