愛の知恵袋 110
明日は希望。でも、愛は今日のうちに

(APTF『真の家庭』231号[2018年1月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

「ねむることは、明日に行くこと」

 新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 希望の門出にあたって、過ぎた日々を振り返り、より良い生き方を考えてみたいものです。

 先日読んだ新聞の「こどもの詩」の欄に、とても心がなごむ詩がありました。

 「おかあさん ねむることって 明日に行くことなんだね」
 小学三年 男子(読売新聞2017年11月2日・くらしの欄)

 きょうぐっすり眠ると、またワクワクするような明日が来る…そんな純真な子供の気持ちが伝わってきます。寝顔を見ながら「いい夢を見てね…」と声をかけてあげたくなります。

 つい先日、結婚している私の娘から電話がありました。2歳半になる男の子がいて、最近、家の近くの保育園に行かせることにしたそうです。園になじめなかったり、帰りたいと泣いたりするのではないかと心配していたようです。

 ところが、行ったその日からすっかり気に入って、迎えに行くと「もっといたい!」と言う。翌日から毎朝、「早く、早く」というようにママの手を引いて誰よりも早く園に行き、扉が開くのを待っている。家に帰ってきたら、もう明日のことを考えている…。そんな様子を見て本当に驚いてしまったというのです。この詩を書いた小3の男子もきっとそんな子なのでしょう。

 私達も「今日は辛いことがあっても、明日には希望がある」…そう信じて生きたいものです。

もしも、二人の明日が来なかったら…

 ところで、長く見える人生も、1日1日の繰り返しです。私たちは心の底で、家族や友人と過ごす穏やかな日々が、ずっと続いてくれることを願っています。

 1日が終わって眠りにつくとき、明日は来るものと信じています。だから、「今日はできないけど、またいつかやればいい」と思って、眠りについています。

 しかし、自分にも、家族にも、友人にも、いつ突然の別れが来るかもしれません。

 そんなことを改めて教えてくれた、ひとつの詩があります。

 アメリカの詩人ノーマ・コーネット・マレックさんが、10歳で亡くなった息子サムエル君にささげた詩です。原題は「Tomorrow Never Comes」でした。

「最後だとわかっていたなら」(訳:佐川 睦)

 あなたが眠りにつくのを見るのが
 最後だとわかっていたら
 わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
 神様にその魂を守ってくださるように
 祈っただろう

 あなたがドアを出て行くのを見るのが
 最後だとわかっていたら
 わたしは あなたを抱きしめて キスをして
 そしてまたもう一度呼び寄せて
 抱きしめただろう

 あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
 最後だとわかっていたら
 わたしは その一部始終をビデオにとって
 毎日繰り返し見ただろう

 あなたは言わなくても
 わかってくれていたかもしれないけれど
 最後だとわかっていたら
 一言だけでもいい…「あなたを愛してる」と
 わたしは 伝えただろう

 たしかにいつも明日はやってくる
 でももしそれがわたしの勘違いで
 今日で全てが終わるのだとしたら、
 わたしは 今日
 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

 そして わたしたちは 忘れないようにしたい

 若い人にも 年老いた人にも
 明日は誰にも約束されていないのだということを
 愛する人を抱きしめられるのは
 今日が最後になるかもしれないことを

 明日が来るのを待っているなら
 今日でもいいはず
 もし明日が来ないとしたら
 あなたは今日を後悔するだろうから

 微笑みや 抱擁や キスをするための
 ほんのちょっとの時間を
 どうして惜しんだのかと
 忙しさを理由に
 その人の最後の願いとなってしまったことを
 どうして してあげられなかったのかと

 だから 今日
 あなたの大切な人たちを
 しっかりと抱きしめよう
 そして その人を愛していること
 いつでも
 いつまでも 大切な存在だということを
 そっと伝えよう

 「ごめんね」や「許してね」や
 「ありがとう」や「気にしないで」を
 伝える時を持とう そうすれば
 もし明日が来ないとしても
 あなたは今日を後悔しないだろうから

 (参考文献:ノーマ・コーネット・マレック著、佐川睦訳「最後だとわかっていたなら」サンクチュアリ出版)