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心のあり方 37
星野富弘さんの詩画

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第11弾、『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
 なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』より)

第十章 幸福は、人のために生きる人生の中にあります

星野富弘さんの詩画

 人のために生きるには、五体満足で五本の指が動かなければならない、と考えがちです。体が健康でなければ幸福になれない、とも思いがちです。しかし、必ずしも、そうではありません。

 群馬県の山奥に美術館があります。美術館は街中にあるのが普通ですが、なぜか、山奥にあります。驚いたことに、毎日千人、一週間で一万人が観光バスで来るのです。そして感動して帰っていきます。美術愛好家ばかりでなく、農家の方、サラリーマン、家庭の主婦、学校の先生と生徒たち、ありとあらゆる人たちが鑑賞に来ます。一様に感動して涙するのです。名前を富弘美術館といいます。

 では、いったい、何が展示してあるのでしょう。花の画に詩が添えられた「詩画」が展示されているのです。この詩画を創作したのは、星野富弘さんです。この山奥は、星野さんの出身地なのです。

 星野さんは、二十四歳のとき「全てを失ってしまった、人生はこれで終わりだ」と思ったそうです。中学校の体育の先生をしていて、クラブ活動の模範演技中に頭から転倒し、頚髄を損傷してしまったからです。その結果、手足の自由が奪われ、ベッドで天井を見るだけの生活になりました。食事も何もかも自分ではできません。

 頭も顔も自由に動かせないのです。「生まれてこなければよかった」と後悔したり、「死にたい」と何度も思ったそうです。「眠ってる間に心臓が止まる」ことを願ったこともありました。そんな絶望的な日々を過ごしていたとき、大きな転機となる出来事が起きたのです。

 同じ部屋に入院していた中学生が東京に転院しました。その子がとても寂しがっているので、「励ましの言葉を愛用の帽子に書いてください」と母親が訪ねてきたのです。でも彼は手が動かないので書けません。でも、なんとか書いてあげたい、と思ったのです。必死な思いで、口でペンをくわえてみました。でも動かせません。母親が帽子を回してようやく、字が書けたのです。そのたどたどしい文字が、中学生を感動させたのです。彼は、中学生の喜びの声を聞いて、人のために生きることの素晴らしさを、悟ったのです。その一念から、口で筆をくわえて花の絵を描けるようになったのです。彼は手も指も動かせないのです、絵の具をつけられません。それを、全て、母親がしました。

 さらに、ひらめいた思いを詩に表して、花の絵に添えたのです。こうして、創作されたのが「詩画」です。詩画は、母と子の愛の合作であり、人を喜ばそうとする愛の結実だったのです。「詩画」は花のように愛が咲いているのです。その愛の香りが、人々を感動させていたのです。
 彼が自分の境遇だけを考えていたときは、絶望しかありませんでした。しかし、人を喜ばそうと思ったとき、生きる希望が湧いてきたのです。

 実は、彼の心を変えたのは、中学生の出来事とともに、友人が枕元に置いた聖書でした。神様の愛との出会いだったのです。彼は事故を通して全てを失ったかに見えました。しかし、神様の愛に出会って全てを得ることができたのです。それは、「いのちは人を喜ばすためにある」という悟りでした。そして、母親の愛を見いだすことができたのです。

 「私はけがをして失ったものもずい分あるけれど、与えられたものは、それ以上にあるような気がした。
 私が入院する前の母は、昼は畑に四つんばいになって土をかきまわし、夜はうす暗い電灯の下で、金がないと泣き言を言いながら内職をしていた、私にとってあまり魅力のない母だった。……
 もし私がけがをしなければ、この愛に満ちた母に気づくことなく、私は母をうす汚れたひとりの百姓の女としてしかみられないままに、一生を高慢な気持ちで過ごしてしまう、不幸な人間になってしまったかもしれなかった」(『愛、深き淵より。』星野富弘著、立風書房、183ページ)

 そして、風にゆれる、なずなを描き母の詩を書きました。

「神様がたった一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れる
ペンペン草の実を見ていたら
そんな日が
本当に来るような気がした」(同書、221─222ページ)

 星野さんの詩画を鑑賞した人は、自分の人生を振り返って反省するそうです。

 「私は愛のなまけものだった……」

 私たちは健康を願います。では、健康とは、何のためにあるのでしょう。幸福になるためです。そのとおりです。健康で、人のために生きたとき、幸福になれるのです。動く二本の手足と五本の指を、人のために活用したとき、幸福を感じられるのです。

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 次回は、「結婚は相手のためにする」をお届けします。


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