夫婦愛を育む 102
善意に包まれて生きている

ナビゲーター:橘 幸世

 これまでも本欄で自分の失敗や情けない側面を晒(さら)してきましたが、今回は再び失敗談です。しかもなかなか受け止めがたい自分のミス、そしてその顛末(てんまつ)について書いてみたいと思います。

 近くのショッピングモールで買い物をし、代金を払おうとしたところ、直前にATMで下ろしたはずのお金がお財布に入っていません! バッグの中どこを探しても……ない!

 まさかATMからお金を取り忘れた? そんなことあり得ない、と思いながらも、他の可能性は考えられません。狐につままれたような気分で、心臓がバクバクしながら、ATMコーナーに隣接するインフォメーションセンターに行きました。

 ほぼ諦め気分の中、一応事情を話して尋ねると、「ああ、○○銀行のですよね? お金の取り忘れがあるとお客さまが知らせに来られました。誰も手を付けなかったので、そのまま口座に再入金になっているはずですよ」と教えてくれました。

 光差すような展開に驚きつつ確認してみると、言われたとおりお金は戻っていました。どこの誰か、どんな人か、全く分かりませんが、私の次にATMの前に立った人の親切に救われました。そして、とても温かい気持ちに包まれました。地獄から天国、といったら大げさですが、さっきまでの目の前クラクラといった気分から引き揚げられた感じです。

 己(おの)がミスにショックを受けながらも、人の善意に助けられて生きていることをあらためて実感した出来事でした。お金を取り忘れたら自動で再入金するようにシステムを作ってくれた人にも感謝しました。

 助けられたのに、こんなに感謝しているのに、お礼を言うすべがありません。
 そして、そういう経験は初めてではありません。20代の時、ドラマで見るような怖い状況から、通りすがりの人に助けてもらったことがあります。
 起こった事を消化するのに精いっぱいでフリーズしている私に目もくれず、助けてくれた人は何事もなかったかのように連れの人と立ち去りました。数年後、同様の経験がさらにもう一度。その時も、未熟な私はお礼を言えていません。

 自分は、知らないところでたくさんの人に助けられて生きているんだ、としみじみ感じます。知らない人に、借りを作ったまま生きているのです(親と名の付くかたがたに対してはいうまでもありません)。

 もちろん、周りには悪意もあり気持ちが折れることもありますが、善意のパワーを忘れずに、直接には返せない借りを、出会う人たちに少しずつでも返していけたらと思います。


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