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中高生・子女教育Q&A 35
み言資料:子女の教育と父母の責任(中編)

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第10弾、『中高生・子女教育Q&A〜友達付き合い・勉強・男女問題etc.』(一部抜粋)を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
 なお、同書は、2004年11月に発刊されたものです。当時の状況を背景としてまとめられたものであることを念頭にご活用いただけましたら幸いです。

(光言社・刊『中高生・子女教育Q&A〜友達付き合い・勉強・男女問題etc.』より)

み言資料:子女の教育と父母の責任(中編)

 子供のことだけを考えるそのような母親になるよりも、継ぎはぎの服を着ていても堂々と出掛けて「責任を果たすために切実な心をもって精誠を尽くしてきたのだ」と言いながら、息子、娘に向かって教育できる母親とならなければなりません。夫は子供に対して、お前たちの母親は、国を愛し世界を愛することにおいて他の人々の母親たちとは違う。たとえ人より劣る貧しいわらぶきの家に暮らしていても、お前たちのお母さんは世界一のお母さんだ、ということを教育しなければならないというのです。子供たちが、うちのお母さんは一番素晴らしいお母さんだ、国のために出掛けていったお母さんが福を受けるようにと言ってお母さんの歌を歌うようでなければなりません。夫も、誰それちゃんのお母さんが福を受けるようにと言って、妻のために涙を流して祈祷しなければなりません。そのようにする場から新しい歴史的な伝統が生まれるというのです。(1970.12.22、前本部教会)

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 「お前たちが住むこの国は本当の国ではない、改めて侍るべきもう一つの国がある」ということを、手を握って涙ぐみながら教えてあげることのできる父母とならなければなりません。皆さん自身がまず天の法度に従って孝子となり、孝女となって初めて、そこから天の伝統的な孝の因縁が成立するのです。懐に抱いた赤ん坊の呼吸を感じるように、天の気遣いを一緒に感じながら涙を流すことのできる立場で教育しなければならないというのです。それでこそ恨(ハン)を残した父母として、教育の幅が広がるのです。「お父さんが家庭で孝を行うように、お前も孝を行わなければならないし、お父さんがその国のために追われながらも闘争の歴史を歩んできたように、お前も忠臣にならなければならない」と教えなければなりません。先生はこれを皆さんの前にどのように残してあげるかということを、今まで終生の目標としてきました。(1970.3.17、京畿道九里市)

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 それゆえ、母親と父親が息子、娘を引き連れて回りながら、御飯も食べずに町内を愛し、国のために祈り、涙を流し、子女は物心つかないときはこのようなことが分からなかったとしても、成長したときには「私たちのお母さんとお父さんが一番だ」と言うのです。お父さんとお母さんは自分の子供のために涙を流すのではないことが分かります。自分の子供を置いてでも、国を愛そう、神様のみ旨のために生き、人類を救おうとした事実が、成長すれば成長するほど分かるというのです。先生はそのことを知りました。(1986.1.26、本部教会)

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 木が育つためには、授け受ける作用が徐々に大きく、うまく展開しなければなりません。そうでなければ、より高い木になれないのです。同じように、子供を育てるときは、自分を愛する以上の愛と心情をもって育てなければなりません。そのように父母の責任を果たせば、その子供が父母の事情を理解し、彼がまた自分の子供をもつようになれば、そのように育てることができるのです。そのようになるときに、初めて彼は父母の悲しみが自分の悲しみであり、父母の喜びが自分の喜びであり、父母のする仕事が自分のすべき仕事であり、父母の責任遂行が自分の責任遂行だと言える子供になるのです。そうして、父母が命令しなくても、父母の仕事を自分の仕事として、父母の責任を自分の責任として、父母の事情を自分の事情としてやり遂げようと進んで取り組むのです。そのような子女を立てることが創造の原則だったのです。(1970.2.25、京畿道九里市)

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 次回は、「み言資料:子女の教育と父母の責任(後編)」をお届けします。


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