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中高生・子女教育Q&A 34
み言資料:子女の教育と父母の責任(前編)

教育がある前に愛があるのです

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第10弾、『中高生・子女教育Q&A〜友達付き合い・勉強・男女問題etc.』(一部抜粋)を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
 なお、同書は、2004年11月に発刊されたものです。当時の状況を背景としてまとめられたものであることを念頭にご活用いただけましたら幸いです。

(光言社・刊『中高生・子女教育Q&A〜友達付き合い・勉強・男女問題etc.』より)

み言資料:子女の教育と父母の責任(前編)

 人はなぜ生まれたのでしょうか。愛のために生まれました。それゆえに、真なる父母の愛に根を下ろし、腹中からお父さんとお母さんの保護を受け、その愛の懐から育っていき、生まれてから二十歳まで思慮分別なく、父母はおむつを替えるときにもとがめることなく、汚いものも汚いと思わずにすべてを喜びとして消化できる真の愛がその底辺に宿り、その愛の中から育っていった暁には、愛の相対者と出会い、互いにために生きる天理の愛に接ぎ木されなければなりません。そのような一生の過程を歩みつつ、神様の愛がどれほどかということを体験させて初めて、神様の愛の実体圏が完成されるので、神様は私たちに、息子、娘を生んで愛するようにさせたのです。(1986.3.20、ヒルトン・ホテル)

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 皆さん、サケを見ると、サケは卵を産んだのちに死んでしまうのです。卵を宿して産むために、雄・雌がただ一つになって……。雌が卵を産む時になると、雄は地面を掘って卵を保護してくれます。そして卵を産むと二匹は死んでしまい、その体は稚魚たちのえさになるのです。死んでいく雄・雌たちの様々な姿を見たとき、先生は実に大きな衝撃を受けました。創造主がいるとすれば、なぜそのようにつくったのでしょうか。それを見れば子供がいかに重要か、愛がいかに重要かということが分かります。愛が最高のものであり、子供が最高のものだということを見せてあげるための、一つの標本としてつくったであろうという理論は極めて当然だと言えます。生命を捨ててでも、愛と子供のためには行かなければならないというのです。(1984.5.20、アメリカ)

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 いくら悪い父母だとしても、子供たちに「私は強盗だったから、お前たちも強盗になれ」と言う父母がいるでしょうか。自分は悪人であっても子供に教育するときは、絶対悪い人間になるなと言います。子供に対して「お前は悪い人間になるな」と言うのは、父母である自分は悪かったということでしょう。「お前はまともな人間になれ」と言うのは、自分は駄目だったという話です。子供のためには、我を忘れて完全に投入することが善であり、そうでなければ残せるものがないことを知っているのです。それが教育の恒久不変の原則です。これを社会化させ、世界化させればいいのです。そうではないですか。(1970.11.15、前本部教会)

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 皆さん! 愛の起源が分かったでしょう? だから、家庭を愛さなければなりません。家庭は天の国、平和の王国へ入籍し得る相続権にあずかることのできるテキスト・ブック(教科書)なのです。家庭は愛の修練場であり、これを拡大したものが世界です。それゆえ、自分の家庭を愛するように、その家庭を中心として全世界の人を愛すれば、それが天国へ行く最も正しい道になるのです。宗教がどんなに道を極めても、神様を愛することができず、人類を愛することができず、この全宇宙を愛することができなければみな落第するのです。全宇宙を縮小させた修練所のような公式過程の愛を体験して拡散させ、世界を愛さなければなりません。それができる訓練所として与えられたのが、皆さんの住む家庭だということを知らなければなりません。(1986.3.11、清州教会)

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 次回は、「み言資料:子女の教育と父母の責任(中編)」をお届けします。


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