「ベルリンの壁」崩壊から30年。
今、われわれに問われていること(後編)

(第5回 ここがポイント! ビューポイント〈プレゼンター:木下義昭〉より)

 当時の世界情勢の背景、実情を見てまいりましょう。

 ここが第2のポイントです。

 東西ヨーロッパのリーダーの本音は、早い段階でのドイツの統一は、実は望んでいなかったのです。

 両ドイツはNATO(北大西洋条約機構)およびワルシャワ条約機構という相対峙する安全保障体制にそれぞれ組み込まれていました。

 西ドイツおよび東ドイツの二つの主権国家の併存は第二次大戦後40年にわたりそれなりに定着しており、ヨーロッパのリーダーはドイツが統一され強大になることを警戒していたわけです。

 英国、フランスをはじめ西側諸国も公式文書などでは表向きドイツ統一を常に支持すると謳(うた)っていましたが、誰もドイツ統一を現実的な問題とは考えていなかったのです。

 特にソ連はドイツの統一を拒否していました。それは2700万人という膨大な犠牲を払った反ファシズム戦争勝利の結果を根底から覆すことになるからです。

 ここが第3のポイントです。

 東西ヨーロッパのリーダーの願望は、東ドイツが改革を進め、東ドイツ市民の西ドイツへの流出に歯止めをかけることでした。

 関係国が想定していたのは、あくまでも二つのドイツの存続を前提としていました。つまり強くないドイツの存続による秩序の構築にあったのです。

 ここが第4のポイントです。

 ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は「ソ連、社会主義の限界を感じていた」ということです。

 1991年4月、ゴルバチョフ書記長はソビエトの最高指導者として初めて日本を訪問しました。

 実はこの時、私はゴルバチョフ書記長と握手をしています。
 ゴルバチョフ書記長を迎えての会合の場には多くの人が集まりました。しかし日本側の指導者たちは、領土問題などがあったため、あまり良い言葉は掛けませんでした。

 私はゴルバチョフ書記長の前を通った時に「スパシーバ(ありがとう)」と声を掛けました。するとゴルバチョフ書記長が振り返って近づいてきたので、握手を交わしました。

 1985年3月11日にソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフは国内の改革(ペレストロイカ)を進め、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアなど他の東側諸国においても改革が進められました。

 しかし東ドイツにおいては強固な独裁者であるホーネッカー政権が改革に消極的な姿勢を維持していました。業を煮やした東ドイツ市民の不満、閉塞感はどんどん高まっていました。

 1989年の夏休みの時期に入ると、国の将来に見切りをつけた多数の東ドイツ市民が東ドイツ、ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキアなどの西ドイツ大使館敷地内に侵入・籠城しました。西ドイツへの移住を強行する行動に出たのです。

 いよいよ東西分断の鉄のカーテンがほころびを見せ、ついに11月9日、冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩れ去ったのです。

 この時米軍もにらみを利かせていたので、ソ連や東欧諸国の軍隊は出動できませんでした。

 民主化を求める東ドイツ市民は「われわれこそが人民、主権者だ」と訴えつつ決死の覚悟で行進し、そのエネルギーが巨大なパワーとなって独裁体制を破壊、自由を勝ち取ったのです。

 こうした激しい戦いがあって得た民主主義、自由ですが、現実は課題も多いです。

 ドイツでは、今でも旧東ドイツ地域の1人あたりの経済生産は西側の「4分の3」にとどまっています。こうした格差から旧東ドイツ地域では半数以上の人が「“2級市民”として扱われている」と感じています。

 ドイツでは排他的な右派政党がこうした不満を吸い上げて躍進を続けており、社会の分断をどのように解消していくのかが大きな課題となっています。

 ところで米国は、ベルリンの広場にレーガンの功績を称えて「レーガン像」を建てる構想を伝えましたが、ベルリン当局は拒否しています。

 ドイツは天然ガスをロシアから輸入するなど、貿易関係で緊密です。やはりロシアがそれをあまり好まないということを知っているため、拒否の態度を取っているのです。

 現在、米国はドイツに5万人の兵隊を駐留させています。
 トランプ政権はベルリンの米国領・大使館のテラスに「レーガン像」を建てることを決定しました。

 レーガン米国大統領がベルリンの壁の前に立ち、「この壁を壊しなさい!」と言ったブランデンブルク門を見下ろす場所です。

 旧東ドイツ出身のメルケル首相は、「民主主義と自由を、あって当然のものとみなしてはいけない」「欧州の基盤となる価値観は、決して自明ではない。常に改め、実践し、守り続けなければならない」と警鐘を鳴らしています。

 ベルリンの壁崩壊から30年。民主主義の在り方が今、問われています。

 間もなく令和2年、新年2020年を迎えます。
 民主主義とは、さらに自由とは、民族とは、国家とは、今まさに人間の根源的な本質が問われています。

 ここが第5のポイントです。

 世界の碩学、政治家・文化人の言葉から考えてみましょう。
 6人を挙げてみました。

 今回の最後のポイントです!

◇プラトン(哲学者)
 「民主政治とは、要するに貧乏人の政治である」

◇塩野七生(作家)
 「民主主義では、『質』は全く問題にされない。『量』だけが支配する世界なのだから」

◇ウィリアム・サイモン(米国元財務長官)
 「悪い政治家をワシントンへ送るのは、投票しない善良な市民たちだ」

◇トーマス・カーライル(スコットランドの歴史家)
 「真理は喝采ではつくれない。是非は投票では決められない」

◇サッチャー元英国首相
 「民主主義の眼目は、率直で力を込めた討論である」

◇アルフレッド・ド・ミュッセ(フランスのロマン主義の作家)
 「偉大な芸術家は祖国を持たない。その作品は国境を越えて、万人のものとなるから」


 民主主義とは何か、どう在るべきか?
 この解答は誰でもない、われわれ一人一人が出さねばならないのです。

 新年が皆さまにとって、幸多きことを心から願います。

(U-ONE TV『ここがポイント!ビューポイント』第5回「『ベルリンの壁』崩壊から30年。今、われわれに問われていること」より)

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