コラム・週刊Blessed Life 101
禅に傾倒したスティーブ・ジョブズ

新海 一朗(コラムニスト)

 スティーブ・ジョブズ(19552011)は、アップル社の共同創業者の一人であり、後にアップル社のCEO19972011)を務めたIT業界のカリスマリーダーです。

 ジョブズについては多くのことが語られ、その奇人ぶりも含めた天才性は誰もが認めるところとなっています。
 一つの偉大な事業を開拓するためには、彼のような破格のキャラクターが必要であり、その徹底したこだわりと完璧主義の故に「すごい商品」を世に出すことができたことを認めざるを得ません。

スティーブ・ジョブズ(ウィキペディアより)

 彼の激しい個性はどこから来るのでしょうか。

 スティーブ・ジョブズは養子として育った人物です。
 養父母は彼を愛し、彼のわがままにも対応しながら、スティーブを立派に育てました。しかし、スティーブの常軌を逸した性格は、彼の全人生を通して彼を支配し、周囲を困らせ、それ故に、御し難い人物として、よくいえば、「カリスマ性」のある人物として、その名を世に馳せることになりました。

 実父母に捨てられたという思いが、ジョブズの人生に激しい葛藤をもたらしました。このことが、彼が若い頃、自分探しの精神的な旅(禅、瞑想、ヨガなど)、あるいは実際的な旅(インドへ行く)に赴いた理由につながっていると考えられます。

 スティーブ・ジョブズは、禅と深く関わり、大きな影響を受けることになります。ギリギリまでそぎ落とし、ミニマリスト(最小限のことしかしない人。最低限必要なものしか持たない人)的な美を追求する感性です。
 激しく絞り込んでいく彼の集中力も、禅から来るものです。抽象的思考や論理的分析よりも直観的な理解や意識の方が重要だと考えます。しかし、どれほど禅に打ち込んでも、ジョブズが解脱して涅槃(ねはん)に至ることはありませんでした。それでも、禅はジョブズにとって特別なものであったことだけは確かです。

 ジョブズに禅を指導したのは、乙川弘文(おとがわこうぶん、知野弘文 19382002)です。そういう観点からも、ジョブズは日本との関わりが深い人物です。

 ジョブズが語った言葉に「私は持っているテクノロジーを全て引き換えにしても、ソクラテスとの午後のひとときを選ぶ」というのがあり、禅やヨガに没頭したジョブズらしいスピリチュアルな側面をうかがわせます。

 ソクラテスは真理探究に余念のなかった哲学者です。そのソクラテスと午後のひととき、真理を巡って談話することの方が、テクノロジーよりも、もっと大切だと言っているのですから、このような言葉は、人生の意味を問い続けている彼の姿をほうふつとさせるものです。

 ジョブズは「この地上で過ごせる時間には限りがあります。本当に大事なことを、本当に一生懸命できる機会は、二つか三つぐらいしかないのです」と語っているとおり、「本当に大事なこと」を見つけ出そうとしていたに違いありません。これがジョブズの哲学者然としたもう一つの側面であることは疑う余地がありません。

 ボブ・ディランのフォークソングにかぶれた若きジョブズの反骨精神は、人生の真理に至ろうとするもがきであったように思われるのです。

 伝統的なキリスト教を離れ、東洋的な禅の世界へと探求の道を歩み続けたジョブズは、皮肉にも、物質的なテクノロジー世界の覇者という冠をかぶることになりました。しかし、その内実は、精神の枯渇をうるおしてくれる「真理」を求めてやまない真理探究の学徒でした。

 ジョブズを、ただIT(情報技術)のカリスマリーダーと見るだけでは不十分なのです。