コラム・週刊Blessed Life 91
平和を好む性質と争いを好む性質

新海 一朗(コラムニスト)

 新約聖書の「ガラテヤ人への手紙」を見ますと、対照的な二つの性質をリアルに述べている個所があります。

 一つは「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない」(ガラテヤ人への手紙 第5章22~23節)という聖句。
 もう一つは「肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである」(ガラテヤ第5章19~21節)と述べている部分です。

 パウロはガラテヤ人へ宛てた手紙の中で、人間の持つ二つの性質を対比して書いたのです。

 この対比は、「御霊の実(The Fruit of The Spirit)」と「肉の働き(The Works of The Flesh)」という表現でなされており、「御霊の実」は聖霊によって導かれた清らかな性質を意味し、それ故に、「平和を好む性質」ということができます。

 他方、「肉の働き」は体の欲求を満たそうという性質であり、私利私欲の性質に満ちている故、しばしば、闘争的になりやすい性質であることから、「争いを好む性質」といってよいでしょう。

 御霊の実として挙げられている「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」などの内容を、別の言い方で述べますと、「神様中心、真実、誠実、共感(共に喜び共に悲しむ)、謙遜、従順、責任遂行、反省心、自己練達」などの言葉に合致するでしょう。

 これは人間が罪の誘惑などによって堕落することなく、真っすぐに神様の愛の懐へ到達した時に得られる性質、すなわち、創造本性(Original Nature)であるといえます。

 肉の働きとして挙げられている「不品行、汚れ、好色、偶像崇拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、妬み、泥酔、宴楽」は、言い換えると、「自己中心、妬み嫉妬、憎しみ、不倫、盗み、強欲、偽り、怒り、傲慢、不従順、反逆、責任転嫁、自己正当化」という言葉に内容的合致を見ます。

 罪悪に結び付きやすいこのような性質は、神様のもとへ到達できず、罪の誘惑に敗れて堕落したことに由来する悪の性質、すなわち、堕落性(Fallen Nature)であると見なすことができます。

 平和へ向かう性質は「御霊の実(The Fruit of The Spirit)」または「創造本性(Original Nature)」と呼ばれるものであり、争いへ向かう性質は「肉の働き(The Works of The Flesh)」または「堕落性(Fallen Nature)」と呼ばれるものです。

 人類の歴史、そして現在の世界を支配している人間の性質は、肉の働き(私利私欲)を促進する堕落性であることは明らかです。
 従って、堕落性を中心とする人間関係、国家関係には平和がありません。必ず、争い合う関係になります。最悪になれば、戦争です。

 人類歴史の大転換期には、必ず、人間の変革を基盤にした社会の変革が起きなければなりません。堕落性を捨てて、創造本性に生きるという180度の変革です。

 個人のレベルにおいても、国家のレベルにおいても、堕落性よりも創造本性を先立てるという姿勢を持つ人が大勢現れれば、そこから世界平和への一条の光を見いだすことができるでしょう。

 御霊の実を否定する律法はないとパウロは述べましたが、その意味は、創造本性(御霊の実)の輝きこそが、平和そのものを表すものであるからです。