夫婦愛を育む 88
愛の怨讐を助けたら…

ナビゲーター:橘 幸世

 かつて自分を傷つけた人が自分に助けを求めてきたら、どうするでしょう?

 “浅草伝説の女将(おかみ)”といわれる冨永照子さんの生きざまがテレビで紹介されていました。
 彼女は老舗おそば屋さんの4代目。時代の流れの中ですっかり寂れた浅草に活気を取り戻そうと奮闘し、現在のにぎわいを取り戻した立役者です。

 著書『おかみさんの経済学』(角川書店)にはその武勇伝(?)の数々がつづられていますが、町おこしの話だけでしたら、私は「すごい人だなぁ」と別世界のことのように聞いて終わっていたことでしょう。
 彼女は、心の器も桁違いでした。

 彼女の夫には愛人がいました。彼は愛人のためにパスタのお店まで開いてあげます。やがて夫が他界、苦境に立った愛人が何と彼女に助けを求めてきたのです。普通の人ならば、その厚顔さに驚きあきれ、怒って追い返すでしょう。けれど彼女は、その愛人を助けたのです。「いい子なのよね」とまで言っています。

 「夫の愛人を助けた」という話は、ホテルニューオータニの社長の耳にまで届きます。
 そんな女性に会ってみたいと社長さんがやって来て、「私で力になれることがあれば言ってください」と縁もゆかりもないおかみさんに申し出ます。
 そこでおかみさんがお願いしたのが、浅草を盛り上げるための大型複合施設開発事業への支援でした。建設予定地の価格30数億円の目途がつかず、頓挫していたのです。社長さんはその土地を購入し、浅草に新たな集客施設が誕生、さらににぎわいが増したのでした。

 彼女は愛人を助けた時、それがこの桁違いの奇跡につながるとは予想だにしていません。純粋に、目の前の困っている人に力を貸したのでしょう。

 「天の父母様は、赦し、愛する所に奇跡を起こされる」(『真の父母経』1573頁8)と真のお母様は言われました。
 まさに、このみ言が具現したエピソードではないでしょうか。

 原則を知っていることと実践することは全くの別物です。果たして同様の事が自分の身に起こった時、かつて自分を傷つけた人、苦い記憶しかない相手が自分に助けを求めてきた時、私はどんな気持ちになるだろうかと想像してみます。

 助けるには少なからず犠牲を払うようになるでしょう。とてもそんな気持ちになれないからと断るか、葛藤を抱えながらも(心が伴わずとも)み言に従って力を貸すか、神様がその人を見る気持ちが自分の中に降りてくるか…。きっとその場に立ってみなければ分からないでしょう。その瞬間、それまでの自分の生き方の結晶が現れるのではないか、と思うのです。