愛の知恵袋 79
命を知りて憂えず

(APTF『真の家庭』195号[2015年1月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

言い知れぬ虚しさの原因は何か

 彼は一度大きなため息をつき、遠くを眺めるような目つきで語りだしました。「最近、自分が何のために生きているのか、わからなくなることがあります…。若い頃は、仕事でも遊びでも張り合いを感じてきましたが、今は60歳を過ぎ、残された人生で自分は何をすればよいのか分かりません。妻や友人が『趣味をやったら!』と言うので、好きなカメラをもって旅行をしたり、絵をかいたりもしています。また、地元のサークルに顔を出して何人かの友人もできました。その時はそれなりに楽しいのですが、何かしら心の底から納得できる喜びというものがありません。情熱を注げるようなものが見つからないんです…」

 私たちは誰でも、時々このような空虚感に襲われることがあります。仕事一筋で走ってきた人の「燃え尽き症候群」。子供が巣立った後、母親が陥る「カラの巣症候群」。そんな時に味わう虚脱感にも似ていますが、この男性の抱いている虚しさは、そのような一時的な症状ではなく、もっと人生の根幹にかかわるもののようでした。

 人一倍の苦労をし、それなりに社会的成功もしてきた人なのですが、今の日々の生活に言いようのない寂しさ、虚しさ、物足りなさを感じているようでした。

 その時、私は彼に「知命不憂」(命を知りて憂えず)という言葉を紹介しました。

 この格言は、私が20代の頃、今は故人となられた松下正寿先生(元立教大学総長)から頂いた言葉です。松下先生とは数回しかお会いしたことがないのですが、なぜか私を気に入った様子で、「君に贈りたい言葉がある」と言って、二つの言葉を色紙に書いてくださいました。そのうちの一つが「知命不憂」でした。それから40年、年を経るごとに、座右の銘にしてきたこの言葉の重みを感じています。

 この世に生まれてきた人間には、“命”というものがあります。「運命」「宿命」「使命」「天命」です。この“命”というものをズシンと自覚できた時、私達の人生が変わります。あたかも霧が晴れるように、迷いや煩(わずら)いから解放され、目標と信念をもった張りのある毎日が始まるのです。

まずは、自分の「運命」を悟る

 世に運命とか宿命とか言われるものがあります。男として生まれた、女として生まれた。裕福な家、貧しい家に生まれた。体が丈夫である、病弱である。頭の回転が速い、遅い。性格が激しい、優しい…といった違いがありますが、これらはいくら不満があっても容易に変えられるものではありません。

 さらに、この世で生きていけば、裕福になる人、苦労する人。仕事に恵まれる人、恵まれない人。順調に結婚できる人、できない人。子宝に恵まれる人、恵まれない人。良きチャンスに出会える人、出会えない人…など、人は恩恵も受けますが、一方で耐え難い試練にも遭遇します。

 その時、「どうして私だけ…」と不満や妬(ねた)みにとらわれて生きていけば恨(うら)みと批判ばかりの人間になり、自分をもっと不幸にしてしまいます。

 しかし、与えられた位置を甘受し、その中で最善を尽くして運命を切り開いていこうとする人には、常に感謝と意欲があふれています。「置かれた場所で咲きなさい」という名言は、きっと、そのような生き方を私達に教えているのでしょう。

「使命感」をもって生きる

 次に大切なのは「使命感」です。“使命”というのは、役割、任務という意味になりますが、「これが私の使命だ」と感じてその役割を果たすことに、誇りをもって生きることです。実社会のある分野で、自分の個性と特技を発揮し、使命感を感じながら生きている人は、その仕事にやりがいを感じているものです。

 自衛官、警察官、消防士、医師、看護師、あるいは、飛行機、船、電車、バス等の乗務員を職とする人達の中には、強い使命感をもって生きている人が多くみられます。

 これら以外のどんな仕事でも、自分が人々のお役に立ち、少しでも社会に貢献したいと考えることができるならば、誰でも情熱をもって生きることができるはずです。

「天命に生きる」ことが最高の生き方

 このように、社会的使命感をもって生きることは素晴らしいことですが、さらに、最も尊い生き方は何かと言えば、それは「天命を悟って生きる」ことだと言えましょう。

 「使命」が自分の「社会的役割」を悟ることだとすれば、「天命」とは、自分の「歴史的役割」を悟ることだと言えるかもしれません。

 坂本龍馬をはじめとした志士達も、メイフラワー号のピューリタン達も、何らかの「天意」(天の願い)を悟って、その実現のために人生をささげた人達でした。

 「なぜ自分が、今のこの時代に、この国に生まれているのか」を熟考し、「この世界を一歩でも半歩でも、より良い世の中へ変えていくために、自分の人生をささげよう」という自覚を持つならば、誰でも、「天命に生きる」ことができるはずです。

 自分の天命は、真剣に“天意”を探求することによって感得することができるのです。