愛の知恵袋 75
愛は見えないが、親切は目に見える

(APTF『真の家庭』191号[2014年9月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

「あなたには愛がない」と言われて

 40代の男性から相談がありました。「結婚して15年になります。自分としては問題はないと思っているのに、妻から『あなたには思いやりがない』とか、『あなたには愛がない』と言われるので、そのたびに、ムッとして、また夫婦げんかになってしまいます…。私にだって愛情はあると思っているんですが、なぜ、妻にはわかってもらえないんでしょうか…」と肩を落とします。「自分の気持ちが全く通じていない」という歯がゆさを感じているようでした。

 全く同じような嘆きの声を、女性の方からもよく聞くことがあります。

愛は目に見えない

 私たちは誰でも「愛されたい」という強い欲求を持っていますが、それが満たされている人は意外と少ないのが現実です。夫も妻も「愛されたい」と思っています。そして、大概の場合、お互いに「この人とうまくやっていきたい」と思って、愛そうと努力しているものです。なのに、相手はそれに気が付いてくれない、受け止めてくれない、というもどかしさを感じている夫婦が多いのです。

 この悲劇は、なぜ起こるのでしょうか。それは「愛」はあっても「目に見えない」からです。誰もが切に求めてやまないのが「愛」ですが、残念なことに、「愛」は目に見えません。従って、愛は「持っている」だけでは不十分なのです。相手にはっきりとわかるように伝えないと、相手の心を満たすことができません。

愛を可視化するには

 私も長い間、夫婦の関係について研究してきました。“愛情”こそが夫婦の中心テーマであり、また、家庭問題の解決の鍵であることはよく分かっていますが、「どうすれば相手に愛が伝わるのか」という点で、大きな壁にぶつかってしまいます。

 結局、たどり着いた解決策のキーワードは、「愛の可視化」ということでした。「目に見えない愛」を、どうすれば「目に見える愛」にすることができるか。その秘訣(ひけつ)さえ分かれば、解決の糸口が見えてくるはずです。

 その答えは、「愛は見えないが、親切は目に見える」という言葉にありました。「愛する」ということは抽象的なことですが、それを具体的な形にできる方法が、「親切にする」という行為です。

 つまり、「愛する」ということは、日常生活の一つ一つの場面で、「どれだけ親切にしてあげるか」ということなのです。

妻と夫からできる親切

 妻からしてあげる親切を考えてみましょう。夫が外食が多くなりビタミン不足が心配だったとします。

 A夫人は、夫に「あなた、ビタミン不足になるから、たまにはみかんでも食べなきゃだめよ」と忠告しました。B夫人は、「あなた、ビタミン補給よ」と言って、買ってきた甘夏をポンと手渡しました。C夫人は、買ってきた甘夏の皮をむき、薄皮もとってすぐに食べられるように皿に入れ、フォークを添えて、「あなた、どうぞ」と言って差し出しました。

 3人の夫人の行為はいずれも親切ですが、この中でどなたの夫が一番、妻の愛情を感じたでしょうか?

 次に、夫からしてあげる親切を考えてみましょう。ある朝、妻は夫にゴミ出しをしてほしいと願っていました。

 D家では、奥さんが「あなた、悪いけどゴミを出してくれる?」と言うと、「えぇ〜、なんで〜」と不満げながらも、一応出してくれました。E家では、奥さんが「あなた、ゴミを出してくれる?」と言うと、「ああ、いいよ」と言って出してくれました。F家では、奥さんが言う前に、「今日は、燃えるゴミの日だよね」と言って自分から出してくれました。

 さて、どの奥さんが一番夫に愛情を感じたでしょうか?

自己犠牲のない愛情はない

 このような話をすると、「そんな面倒くさいことを…」と感じるかもしれません。しかし、愛とは、実に「面倒くさいもの」なのです。面倒なことを、苦にせず、喜んでしてあげることが愛情なのです。

 もし、母親が子供の世話を「面倒くさい」と思ったら、とてもできないでしょう。また、もし、人との付き合いを「面倒くさい」と考えるなら、その人には一生友達ができないでしょう。

 「愛する」ということは、自分の持っている時間やお金や労力を、誰かのために惜しみなく捧げることにほかなりません。そうであるがゆえに、私たちは、ある人の愛にはっと気が付いたとき、胸が震え、熱い涙が込み上げてくるのではないでしょうか。