愛の知恵袋 64
養子縁組で大切なこと

(APTF『真の家庭』175号[2013年5月]より)

関西心情教育研究所所長 林 信子

養子縁組をする夫婦の相談

 今年2月に入って、30代後半のM夫婦が相談にこられました。養子縁組の件です。

 御夫婦は20代後半に結婚したのに、2年たっても3年たっても赤ちゃんにめぐまれず、奥さんは病院で検査してもらい、「妊娠不可能と診断される体ではない」と言われ、次に御主人が病院へ。こちらも弱いけれど、不可能と決定はできない——。そこでまた2年受胎に望みをもちましたが、やはりあきらめざるを得なくて、養子をもらうことにしたのです。親からはなれた施設の子供たちを見に行ったり……。

 今回、同じ会社の若い夫婦が3人の幼児をもっていて(一番下は1歳児)、「春にはまた生まれる予定で、子供をほしがっている方がいれば——」という話。さっそくその奥様にもお会いして、話がまとまりました。養子をいただく心がまえと、「養子である」ということを、いつ何歳の時に伝えるのか心配。法律にはないし、横から先に聞いて本人がショックを受けてもいけない。でもいつか分かる時がくる。私たちは親の口から伝えたい。何歳くらいのどんな時がいいでしょうか? という内容でした。

写真はイメージです

さまざまな養子たちの気持ち

 私は何件かの養子縁組の話をしました。

1. 私の人生を変えた恩ある先輩の話。

 信仰的な彼女は自分にも、他人にもきびしかった。子供ができなくて、50代後半に、若い夫婦から生まれた直後の赤ちゃんをもらった——。先輩は勝ち気だったから、きびしく育てた。やさしい夫がいて父親として本当にかわいがった。でもその子が小学2年生の時、夫が病死。続いて6年生の時、母親も病死した。その男の子は生みの親のところに戻された。しかし兄妹たちと仲良くなれず、実の両親から「もうわが家の子ではありません」と先輩の妹さんの家に連れ帰された。——彼はグレた。体格は良かったけれど、心は大人たちの勝手さや冷たさに反抗していた。

 彼は叔母が通っている教会に寝泊まりして、アルバイトしながら高校に通った。

 20代で教会で結婚式をあげた——。しかし長く続かず行方不明。昨年九州にいることが分かり電話すると、「僕は僕の道を歩きます」と返事。

2. 子供を3人もっているB氏の場合、大学を卒業する時に書類を見て、自分が養子であることが分かり、両親に「本当の親は誰なのか」と聞いた。でも「言わない約束だ」と教えてもらえなくて、2人共亡くなり、いまだに分からない——。本人は知りたかった。会いたかったと今でも言ってます。

3. 今、66歳の主婦。ある会社の社長夫人。結婚する時、母親が「あなたの本当の親は伯母ちゃんなの」とあかしてくれた。母の姉さんだった。いつも皆かわいがってくれたから「そうか?」と思っただけだった——。

大家族のような付き合いを

 最後に素敵な御夫婦の話をしましょう。

 それは細い体の御主人と、がっちりした体格の奥さん夫婦です。健康な奥さんは毎年のようにお産して、たぶん8人のお子さんを産んで、その半分の4人を養子に出していました。

 感動したのは、毎年2回くらい、誰かの誕生日とかお正月に全員集まる日を決めて、お祝いすることです。海水浴の日も、動物園の日も、山登りの日もある。全員集まれる日を選ぶ。

 集まった子供たちの半数は、父親が2人、母親が2人いることになる。でも全員、兄弟姉妹。1歳児から15歳の高校生までずらりと並び、みんな仲良く、わけへだてなく話をし合い、ボール投げをし、上の子の言うことをきく。もちろん上の子たちは下の子をわけへだてなく世話をする。まさしく大家族という感じ。

 私ははじめてそのグループに会って、本当に感動しましたよ。両家は一番濃くて近い親戚同士という付き合いを日頃から続けることです。これができないなら、養子縁組はやめるべきです。養子の子には、はじめから父2人、母2人と知らせておくこと。これが一番ですね。