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通いはじめる親子の心 12
子供の話を聞く

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第6弾、『通いはじめる親子の心〜子供の気持ちに「共感」する』を毎週火曜日配信(予定)でお届けしています。

多田 聰夫・著

(光言社・刊『通いはじめる親子の心〜子供の気持ちに「共感」する』より)

第三章 子供の気持ちに「共感」する

 『原理講論』の50ページに、授受作用について書かれています。

 「あらゆる存在をつくっている主体と対象とが、万有原力により、相対基準を造成して、良く授け良く受ければ、ここにおいて、その存在のためのすべての力、すなわち生存と繁殖と作用などのための力を発生するのである。このような過程を通して、力を発生せしめる作用のことを授受作用という」

 これを家庭について考えてみましょう。「万有原力」は、創造目的(理想家庭)を成そうとする神様の力です。また、「相対基準を造成する」というのは、創造目的を中心に、相手の気持ちを共感することです。「授け受ける」というのは、お互いに共感し理解し合うことです。そうすることによって、心が一つになるのです。

 理解し合うのは、相手を理解して、初めて、自分が相手に理解してもらえるようになる、それが原則です。このことをしっかり理解しておきましょう。

 子供を愛していない親はいません。子供に問題や課題があったとしても、愛しています。しかし、愛しているといっても、親の愛情が子供に届いているかというと、そうではないのです。子供を理解しようとせずに、親の立場から子供に要求ばかりしていることが多いのです。それでは、親の愛情が子供に届きません。子供は愛されていると感じていないのです。

 親の愛情の伝え方について考えてみたいと思います。二つの話の「聞き方」と、一つの「話し方」を紹介します。二つの聞き方というのは、「共感的聞き方」「積極的聞き方」です。「話し方」は、「私メッセージ」です。

子供の話を聞く
 22歳の娘を持つ母親の話です。

 普段は、ほとんど話をしないのですが、親子で夕食をした後、娘のほうから母親に話しかけてきました。珍しく、娘が会社でのことをいろいろ話してくるのです。母親は、これはよく聞かなければいけないと思い、しばらく聞いていたのですが、いろいろと気付くことがあり、つい母親としてアドバイスをと思い、話したのです。すると、娘は黙ってしまいました。

 母親は、「しまった」と思ったのですが、娘は寂しそうな顔をして、「ただ、お母さんに聞いてほしかっただけだから」と言ったのです。娘の話を最後まで聞いていればよかった、と反省したといいます。

 これまでの親の子供に対する対応を見ると、「良かったら褒める、悪かったら叱る」ということが当然のこととされてきたのではないでしょうか。でも、「悪かったら叱る」のは、どうでしょうか。

 例えば、子供が犬に餌をあげる役割を担当したのに、三日間、犬に餌をあげなかった。仕方がないので親が代わりにあげたとしましょう。

 子供は犬に餌をあげる責任があるわけですから、怒られても当然なのですが、親は自分の基準で叱っている場合が多いのです。また、親自身が別の問題を抱えていて、子供を叱る場合もあります。心に余裕がなく、感情的になって、つい叱ってしまうといった場合です。

 子供が犬に餌をあげることは子供の責任ですから、その責任を果たさなかったことは悪いことでしょう。でも、何かの事情を抱えていて、できなかったということもあり得ます。友達にいじめられていたり、何かの壁にぶち当たっていたのかもしれません。子供が犬に餌をあげなかったことを、子供からの何らかのメッセージと理解することもできるのです。そのとき、「どうしたの? 何かあったの?」と聞いてあげていたら子供は、「実はね……」と話してくれたかもしれません。

 親は自分の価値基準で子供の行動を判断しますが、子供には子供の観点があるのです。子供の事情を理解して、判断する必要があります。子供の事情を理解してから子供に対する接し方を決めてもいいのです。

 子供が問題を抱えていたときに、してはいけないことがあると言われます。命令、脅迫、説教、提案、非難、称賛、同情、侮辱、分析などです。

 親が子供の話を聞くとき、子供の気持ちを理解しよう、共感しようとするよりも、その話を分析し、それに対する答えを用意しようとして、あるいはあらかじめ用意して聞くことが多いのです。それでは、子供は理解してもらったという気持ちにはなれないというのです。

 例えば、子供が不登校になったときに、「学校に行かないと立派な人間になれないよ」と言って、学校に行かせようとする。これは子供に対して説教することであり、脅迫でもあるわけです。すると、子供は心を閉じてしまうのです。

 「起きなさい。また遅れるわよ」
 「朝食をしっかり食べないと駄目でしょ」
 「なんて格好なの。もっとましな服を着なさいよ」
 「学校が終わったら、まっすぐ帰ってきなさい」
 「あのスケートボード、片付けないと駄目じゃないの」
 「夕食よ。なんで何回も呼ばないといけないの。お手伝いくらいしてちょうだい」
 「テレビを消して、皿洗い手伝いなさいよ。私があなたくらいの年には、皿洗いくらいしたわよ」

 こんな言葉を子供たちに投げかけていませんか。忙しい日常生活の中で、子供にとって、朝と夕方は母親と話せる貴重な時間です。その時に、母親から非難や命令、説教などを聞くと、子供は耳を塞ぎ、心を閉じてしまうものです。

 また褒めるということも、場合によってはいけないこともあります。かえって、反感を持つこともあるからです。そして激励すること、質問することも、子供の心に圧力を与えることになるので、避けたほうがよいことが多いのです。

 親が子供の良い相談相手になれないと、子供は孤立し、自分を追い込んでしまうこともあるのです。数年前、名古屋で「いじめによる自殺」がありました。子供の遺書には、親が子供の悩みを何とか解決しようと、子供にした10の質問の回答が書かれていました。

 その親は、子供の様子がおかしいので、どうしたのかといろいろ質問していたのです。しかし、子供は親の質問に答えなかったのです。親は、子供がなぜ質問に答えないのかと悩んでいました。

 親から質問されることが、子供にとって苦痛になることがあるのです。その子供には、質問に答える心の余裕がなかったのでしょう。答えたくない、答えられない子供の気持ちを理解してあげることが必要だったのです。

 親は早く原因を突き止めたほうがよいと思って、なぜなのかと聞いたのです。しかし、子供が自ら不安を打ち消す方向に向かうまで、黙って話を聞いたほうがよいのです。

 子供の7〜8割が、親から理解されていないと感じているのです。

 親は何とかして子供に回答を教えてあげたいと思います。しかし、「教える」というのは、親の心を満たすだけになりがちで、子供に愛情が伝わらない場合が多いのです。共感的に子供の気持ちを理解してあげること、それが、親の愛情が伝わる方法であり、子供の問題を解決できる方法なのです。(続く)

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 次回は、「共感的聞き方」をお届けします。


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