夫婦愛を育む 62
変わることの痛みよりも…

ナビゲーター:橘 幸世

 皆さんは今「変わりたい」と思っていますか? 自分のこういうところを直したい、あるいは現状から脱したいと格闘の最中でしょうか? それとも、変わりたいと思いながら一歩を踏み出せないでいますか? 悩む暇などないという多忙な人もいるでしょうし、幸せいっぱいで悩みなどないという人もいるでしょう。

 葛藤の真っただ中にいる人の中には、苦しみの原因となった(と自分が思っている)人や出来事を恨んで抜け出せない人もいるでしょう。
 
 恨みの中にいる時は惨めで苦しく、そこから抜け出すエネルギーはなかなか湧いてこないものです。怒りや恨みを昇華するさまざまな指南書を読んでみても、実行に移し、かつ継続するのは簡単ではありません。

 「被害者意識」という言葉をよく聞くようになりました。専門的な定義は別として、一般的に、他者や生育環境などを自分の不幸の原因と見なして「~のせいでこうなった」という思いを「被害者意識」として使っているようです。

 そこから脱した一人の女性が、当時の自身を振り返りこう言っています。
 「惨めな思いに浸ったまま、誰々のせいでこんなになったと、相手を責めることで自分を慰めていた」。そんな状態を、ある辛口カウンセラーは、「ぬるま湯」に浸かっている、と表現しています。

 お風呂がぬるかったら、暖まりきらず湯船から出られません。でも、そのぬるい湯に浸かっていることはできます。「熱湯」だったら入っていられず飛び出すだろう、それなりに居心地がいいんだ、と彼は言います。

 なかなか手厳しいですね。この例えを聞いて気分を害する人もいるでしょう。「自分はこんなに苦しんでいるのに、ぬるま湯とは…!」と。でも、カウンセラーの言葉を受け止められない時、言う意味がよく分からない時、拒絶せずに時間をかけて昇華しようとする人は、やがて気付きを得て、次のステップに進みます。

 「熱湯」は、現在の痛みにこれ以上耐えられなくなったり嫌気がさした時や、変わる以外に問題の解決がないと痛感した時、と言えるかもしれません。

 上記の女性は、現在の状況下での苦しさ・痛みの方が、変わることの痛みよりも大きくなって初めて、人は変わり成長することができる、と実感を込めて言っています。
 彼女自身、落ち込んで精神的にクタクタになっている自分につくづく嫌気がさした時、恨むのをやめて新しい世界を開こうと踏み出しました。

 神様を知っている私たちは、さまざまな助けをいただいて、ぬるま湯からでも出ることができます。
 ぬるま湯、熱湯、いずれにしろ、そこから飛び出したら、努力を続けやすい環境、支えてくれる仲間や信頼できる先輩などを見つけましょう。
 祈り求めれば、いい具合に整えられていくでしょう。