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幸せを引き寄せる 5
心のあり方

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第7弾、『幸せを引き寄せる〜「愛天愛人愛国」家庭生活講座』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『幸せを引き寄せる〜「愛天愛人愛国」家庭生活講座』より)

第二章 人を愛する生活

心のあり方
 私たちは誰でも幸せを求めて生きています。幸せをもたらす運気を幸運と言います。

 同じ努力をしても、ちっとも結果が出ない人と、想定外の大きな幸福をつかめる人との差は、幸運を引き寄せられたかどうかの違いにあります。

 では、どうしたら幸運を引き寄せることができるのでしょうか? それは、他人ではなく、私自身の心のあり方にあるのです。

 心には、「幸運を引き寄せる心」と、「不運を引き寄せる心」の二つがあります。幸運を引き寄せる心とは、まず、「感謝の心」です。そして、「謙遜な心」です。「すみません」と素直に謝れる心です。さらに、「何かのせいにしない心」です。自分のいたらなさを認め、自己改善する心です。また、どんなことがあっても、「前向きに努力する心」でもあります。

 人生は困難、試練の連続ですが、そのたびに、絶望し、落ち込んでいたら、ますます不幸になっていきます。人生の成功者たちは、ピンチをチャンスに変えた、前向きな心を持った人たちなのです。

 感謝、謙遜、素直、努力は、幸運を引き寄せる心です。

 では、不運を引き寄せる心とはどんな心でしょうか?

 まず、「怨みの心」があります。怨んで幸せになった人はいません。怨み心の前段階の心があります。不平不満、憎しみ、許せない心、などです。ささいな不満が、成長発展して、やがて、怨みの心となるのです。

 次に、「妬み心」があります。嫉妬心ともいいます。隣人が幸福になると、腹が立ち、苛立ち、やがて、「仁王立ち」になるという、やっかいな心です。間違いなく不運を引き寄せます。この心を持った人は、絶対に天国に入れません。なぜなら、天国は幸福な人だらけだからです。妬み心は自分より不幸な人がいないと安らぎを得られないという、いじけた心なのです。

 そして、「何かのせいにする心」です。不幸にさせられたという被害者意識から抜け出せない心です。自分は聖人で、相手が極悪人であると決め付け、思い込む心です。

 さらに、「傲慢な心」があります。少し良いことがあると、図に乗ってしまい、有頂天になって、人を見下す心です。人から嫌われ、疎んじられて、最後には惨めに転落してしまいます。

 「怨み」「憎しみ」「妬み」「責任転嫁」「傲慢」は不幸を引き寄せる心なのです。

 不幸をもたらす心が湧きそうになったとき、幸運をもたらす心に切り替えることが幸せになる秘訣なのです。

 幸せを引き寄せる心の中で、最も輝いているのが、感謝の心です。感謝には三つの心があります。

 一つは、良いことに感謝して、忘れない心です。

 満員電車で席を譲ってもらったこと、重い荷物を見知らぬ人に持ってもらったこと、困ったときに金銭で援助されたこと、落ち込んでいたとき励ましの言葉をかけてもらったこと、人生にはいろいろ良いことがあります。それを感謝するだけでなく、忘れないことが大切なのです。幸運を引き寄せる人は、良いことを忘れない人なのです。

 記憶の貯金箱に感謝の出来事が詰まっている人なのです。

 不幸だと思い込んでいる人は、良いことを忘れて、嫌なことだけを記憶している人です。

 二つ目は、当たり前のことに感謝する心です。

 人は朝、目覚めて体を起こし、顔を洗って、朝食をします。何年も続けてきた、当たり前の生活です。それを感謝したことがありますか?

 ある人は、目覚めて体を起こすたびに、涙を流して感謝し、神様に手を合わせるそうです。一時期、がんに冒され、起きるたびに激痛で死ぬ思いをしてきたからです。奇跡的に治ったので、起きるたびに「当たり前」を感謝しているのです。

 朝起きて、「きょうもまた仕事か……」と嫌な心で起きる人とは、雲泥の差があります。

 三つ目は、不幸でも感謝する心です。

 不幸とは、なかなか感謝できない出来事です。そんな時、「どうして自分だけがこんな目に遭うの」と嘆いていても幸運は引き寄せられません。もっと惨めになるだけです。不幸だと思い込むと、不運を引き寄せる心が、じわっと芽を出します。

 不幸とどう向き合うか、それが幸不幸の岐路となるのです。不幸な時にこそ、感謝の心をもてば、幸福の道が開かれるのです。病気に感謝、事故に感謝、貧乏に感謝、嫌な人との出会いに感謝、悪口、陰口に感謝。ちょっと不思議な感じですが、そうすると不幸が幸福への栄養素となって、より味わい深い幸福になるのです。

 「あの不幸がなければ、今の幸せはない」と思えるようになるのです。

 文鮮明先生の奥様は韓鶴子(ハン・ハクチャ)夫人といいますが、この方のお母さんを尊称して「大母(テモ)様」と言います。この方は、家庭が幸福になるためには、いつも、喜びの心が大切だと言われています。

 「いつも、心がうれしくなければなりません。それでこそ福がついてくるのです。しかし、心がいつも暗くて苦痛であれば、そこには不幸がついてくるのです。自分の心持ちをどうするかによって変わってくる、ということを知らなければなりません。

 ですから、『私はだめだ、だめだ』と言ってはなりません。『うちの家族はたいへんだ、たいへんだ』と言えばもっと難しくなります。『私はうまくいく、うまくいく、うれしい、うれしい』と言えばうまくいくし、うれしいのです」(『真なる妻の役割』、32ページ)

 人生には忍耐と辛抱は付きものですが、それだけで幸せになれるわけではありません。

 文鮮明先生は、感謝の心で苦労することが大切だと言われます。

 「忍耐して辛抱するだけでは足りません。忍耐と辛抱だけして、『ああ、大変だ』と言ってよいでしょうか。忍耐して辛抱したとしても、忍耐して辛抱していないかのように感謝する心と、賛美する心をもつのです。不平を言いながら忍耐すれば、神様が来る途中で逃げていかれます」(『愛天愛人愛国』、150ページ)(続く)

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 次回は、「愛のある言葉」をお届けします。