共産主義の新しいカタチ 125

 現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
 国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)

根底に唯物還元主義の無機的世界観
ヘルベルト・マルクーゼ(下)③

▲ヘルベルト・マルクーゼ

ニルヴァーナ原則とフロイトの理論
 「ニルヴァーナ原則」という概念の「ニルヴァーナ」とはもちろん仏教用語で「涅槃(ねはん)」と漢訳。「ニルヴァーナ原則」について次のような解説記事があります。

 「S・フロイトの多分に思弁的なメタ心理学的用語。仏教用語の涅槃(ニルバーナ)に由来するもので、〈涅槃原則〉ともいう。彼は《快楽原則の彼岸》(1920)において、ニルバーナ原則とは、刺激に基づく緊張をゼロにまで引き下げようとする心的装置の傾向(〈死の本能〉の表現)であり、快楽原則とは、その前段階の緊張をできるだけ低くかつ恒常的に維持しようとする傾向(〈生の本能〉の表現)であると説いた」(『世界大百科事典第2版』)

 生命体(生体)が「死」によって有機物、さらに有機物から無機物へと「解体」していく過程は、化学的保存則から当然のことであるとフロイトは考えました。

 しかし、「死ねば終わり」という死生観で、「精神や心理上の営みは、人間の死と共に潰え去る」とのフロイトの考えを、「後継者」と目されたCG・ユングには受け容れられませんでした。フロイトにとり、ユングが「精神世界」=「オカルト領域」に奔(はし)るのに眉をひそめ、これを阻止しようとしたのです。

 人生(現世)は「苦海」であり、死は極楽往生(楽=来世)を意味する点において、仏教はペシミズム(厭世主義)の哲学者ショーペンハウアーに通じるものがあります。実はフロイトやニーチェ、ホルクハイマーらの思想的バックボーンこそが、ショーペンハウアー哲学でした。

臨死体験と死後世界の示すこと
 さて、人口に膾炙(かいしゃ/広く知れ渡ること)してきた「臨死体験」という考えが、この臨死体験において、体験者が一様に口をそろえるのが、「死後の世界とは楽」であることです。その意味で経験知からすれば「涅槃の境地」とはまったくのデタラメとは言えませんが、フロイトやマルクーゼら「唯物論者」にとってはむろん、「死ねば無になる」ことを意味します。

 死は単に「生体が無機物に還ること」を意味するという考え方は結局、「生命は単なる物質の塊に過ぎない」と見る「還元主義的価値観」を表しています。これは目に見える現象だけから判断すれば、それが正しいようにも見えます。人間は死ねば即、精神の営みは消滅するのは当然、と見るのは理解できます。

伝統社会に普遍的な霊魂不滅の思想
 しかしその一方、人間が死んだからといって、精神の営みが即、「無」になるというのは、考えにくい、むしろ何らかのエネルギーとして残存していると考えた方が合理的ではないか、という考え方も成り立つのではないでしょうか。

 そもそも人類の来し方、人間が物質存在であると同時に「霊魂」を持つ存在でもあるとの観念を、ほとんどの伝統的社会おいて残してきました。古代エジプトから世界の主要宗教に至るまで、その観念は継承・維持されてきたのです。

 ニュートンの近代科学的アプローチを「形而上学」の分野に導入し、より厳密な意味で区別された「形而上学」を樹立しようとしたカントですら、「神の存在・霊魂の不滅性・人間の自由」を「実践理性において要請されるもの」として否定できませんでした。

 もし「死ねば無になる」のであれば、なぜ人は墓や仏壇あるいは神社を造り、死者を弔う必要があるのでしょうか。「現世に生きる人々の記憶のため」という見方もあるでしょう。西洋ではエクソシスト(悪魔祓師)、東洋では陰陽師のような「専門職」の人々がみな「インチキ山師」だったのか─と。

 「死ねば終わり」という人間観は、即物的還元主義に立っているため、「愛」という観念も即物的に捉えます。マルクーゼの『エロス的文明』でも「性器性欲論」に還元され、家族制度の崩壊を企てるのです。

画像をタップすると拡大してご覧になれます

 ところで、上の図表は『エロス的文明』に掲載していますが、マルクーゼ自身は次のように説明します。

 この図表は、生体の発生(第二・第三段階)から、二つの基本的性能が形成される段階(第五段階)を通って、その本能が、「変容され」、文明における人間の諸本能に発展していく(第六・七段階)に、ある外因性の要因で起こり……「歴史的に獲得される」ようになる。第三段階では、外因性の要因は、生体の発生によって生じた「弛むことのない緊張」であって、生命にとっては以前の段階より「満足」が少なく、苦痛が多いという「経験」から……死の本能が、生まれてくる。こうして死の本能は、基本的な欲求不満の外傷の結果としてあらわれる。この段階で、不足と苦痛は地球上の生物学的な出来事によって引き起こされるのである。

 マルクーゼのこの「生体の『段階』とニルヴァーナ原則」の解説こそが、フロイトを超えた「抑圧なき文明」へとつながるのです。

(続く)

「思想新聞」2026年8月1日号より

ウェブサイト掲載ページはコチラ

【勝共情報】
国際勝共連合 街頭演説
(国際勝共連合 公式チャンネルより)
「トランプの次の狙いは朝鮮半島」202695日 八王子駅

LINE勝共ラシンバン】
友だち追加、お待ちしております。
友だち追加はこちら↓