週刊ぶれら 71
再建は「宣教」から始まる

編集部

 「宣教」とは、文字どおり、教えを宣(の)べ伝えることをいいますが、主にキリスト教において使われてきた言葉です。

 では、その原点はどこにあるのでしょうか。

 イエス・キリストは、弟子たちに向かってこう述べています。

 「行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出だせ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。財布の中に金、銀または銭を入いれて行くな。旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である」(マタイによる福音書 第10710節)

 そしてイエスは、死後も復活して弟子たちにこう命じます。

 「あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(同 第281920節)

 ここにキリスト教における宣教の起源を見いだすことができます。

 宣教は、単なる有志による活動を指すものではありません。
 宣教は、イエスの教えと業を証しし、自らもそれを実体で示すことを意味しています。
 まさに宣教とは、信仰告白そのものに組み込まれた不可欠な命題としてスタートしたものなのです。

 私たちはここに大きな教訓を得ることができます。
 真の父母様への信仰の熱心と、宣教への熱意がある限り、私たちは全てを始めることができるということです。

 真の父母様のみ言と、生涯を通して見せてくださったその実体を証しする――。

 そこにこそ、真の父母様は共にいらっしゃるのです。
 再建の道もまた、「宣教」の一点から始まるのです

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