2026.08.23 13:00

興亡盛衰 5
30年前に発刊された『文鮮明(ムン・ソンミョン)師御夫妻メッセージ集 青年の希望』の中から、第1弾の「青年の希望」に続いて、第2弾として「興亡盛衰」のみ言をお届けします。
「膨大な文師の講話集の中から、特に日本の青年に対して希望を与えようと、日本語で語られたもの」が選ばれ、まとめられたみ言集です。
若い世代はもちろん、全世代にお読みいただきたい、読めば読むほど、元気が出てくるメッセージ集です。(一部、編集部が加筆・修正)
「興亡盛衰」のみ言は、1971年3月21日、韓国・水沢里の中央修練所において、訪韓した百余名の日本の統一教会のメンバーに対して語られた、文鮮明師の講話です。
新しい思想「統一思想」
このように思うとき、世界をつくる動機たるものは、外的条件ではない。外的条件に近くなればなるほど、それは滅亡の道に近い。だからあらゆる文化圏というものは、ある頂点に達した場合には、必ず滅びる。なぜ滅びたのか。それ以上の目標に向かって進んでいくという、精神的な原動力がなかったからである。このような結論を出すと、歴史上に現れたその文化圏が滅びずして、数千年の文化と共に、歴史と共に残った場合には、いかに素晴らしい文化的世界になったことであろうか。
驚くばかりの文化が、なぜ滅びたか。なぜそこで尽きてしまったのか。その背後を思うとき、それ以上押しつける精神的背後の原動力がなかった。そこには、国という観念が少ない。民族における民族愛が欠けてくる。家族なら家族の、母を中心としての関係が薄らいでくる。自分なりの生活観念も真剣でない。これを見ると、世界の文化も、世界の民主主義国家における先進国家も、本当に幸福かというと、そうではない。外的基準の文化が、永遠に続くことは絶対にできない。今までつくり上げた文化基準以上の精神的母体がなければ、世界にたたえられるような文化圏として、あとの歴史に残すことはできない。
この観点から見れば、日本の現状はどうか。これは敗戦の悲哀を感じて、もう生きる道はない。命をささげて、もう一回奮発しなければならない。奮発するには、まずもって何を考えなければならないか。
昔、戦争する時より以上の新しい決意を立たせなければならない。その決意を何によって立たし得たか。いろいろ環境もあるだろう。アメリカの援助とか韓国動乱の恵沢を受けてとか、そういうことも復興の契機になったのであるけれども、日本における昔以上の、心身共に一致し得る基準が満たされたところにおいて、復興の道をたどったに違いない。このようにして、戦前より以上の経済的文化圏を果たすことができた。では、今から日本はどのようになっていくだろう。これ以上発達し得るか。
日本自体を思ってみた場合には、日本は加工産業国家である。原料がない。これは、ある次元の限られた圏内においての発展は許されるが、もしも、周囲の国家圏における資源を補給している国々が先進国家圏になった場合には、日本は自然と絞められる。そうならざるを得ない。自分自体で自給自足し得る、文化の原因となり原動力となり得る、外的の経済的資源をもっていない。それは他国に依存しなければならない。これは絶頂に達した場合には、どうならなければならないか。それは下がる。必ず下がっていく。依存しながら、よその国を助ける国は絶対ない。それは今までの国としての鉄則である。日本をもうけさせてやって、自分の国がマイナスになりたいという国はない。だから日本において、物的発展の基準をたたえる、そしてそれを中心として満足し得る立場でもって、日本自体が永遠に続くかというと、そうではない。絶対そうではない。それが続けば続くほど、それは腐敗する。
国民はみな分解されていく。自分なりの国家という観念を失い、氏族観念をもつようになる。そして、氏族観念を失い、自分の家族を中心に考える段階になる。家族みんなが自由な環境圏に立つようになると、結局二人、夫婦、男女関係に尽きてしまう。その男女関係に尽きた場合には、人間として落胆してしまう。その実証の実体として現れたのが、ヒッピー族である。「権力とか国家とか、何か社会制度とか、それはみんな主権をもっている何人かの主張を満足させるための体制であって、万民すべてを幸福にさせるものではない。国家はいらない。アメリカ民族もいらない。自分の家族もいらない。自分は父母によって生まれたのであって、他の人と何のかかわりあるか」。このように、みんな分散してしまう。
これを大雑把に見た場合、新しい思想として残る道は何であろう。人間以上の内容をもつところによって、それは求めなければならない。そのような結論になってくる。歴史圏内に今まであったそういうものではなくして、今まで思いもよらなかった新しい宗教観念である。絶対なる神の存在を、感覚圏において感ずる、体恤(たいじゅつ)し得るようなもの。神の認識圏を我々万民に、普遍的に、可能なる認識圏を与える新しい信仰観、それが必要である。そう思うときに、宗教世界においては再臨思想が残っている。その思想たるものは、落胆の、堕落の絶頂にいる万民に対して、一つの願いの、望みの神として会ってみたいという、要望の要因としてある。その立場から見た場合には、「統一思想」というものは、この現世でなくして、未来に続く新しい世界において、大なる貢献をするのではないか。そうしなければ、世界は滅びるであろう。
この文化圏に包まれて、この文化と共に定着してしまうような宗教ではいけない。 毎日の信仰生活圏内において刺激され、破竹の勢いでもって打ってかかり、打破してしまうような、新しい何ものかを残し得るという、実績を求められるものでなければならない。それを果たし得るか、それが今後の問題である。
(続く)
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次回は、「主体性を持つ」をお届けします。