2026.08.02 13:00

興亡盛衰 2
30年前に発刊された『文鮮明(ムン・ソンミョン)師御夫妻メッセージ集 青年の希望』の中から、第1弾の「青年の希望」に続いて、第2弾として「興亡盛衰」のみ言をお届けします。
「膨大な文師の講話集の中から、特に日本の青年に対して希望を与えようと、日本語で語られたもの」が選ばれ、まとめられたみ言集です。
若い世代はもちろん、全世代にお読みいただきたい、読めば読むほど、元気が出てくるメッセージ集です。(一部、編集部が加筆・修正)
「興亡盛衰」のみ言は、1971年3月21日、韓国・水沢里の中央修練所において、訪韓した百余名の日本の統一教会のメンバーに対して語られた、文鮮明師の講話です。
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人間だけでは理想世界は成し得ない
そうすると、その理想への目的は、自分が果たすべき目的として迎えていいか、悪いかということが問題になる。これを、そういう立場から考えてみた場合に、人間がいかに大言を言うとしても、世界的目的を一人で完成するということは難しい。決まりきったことである。それは、一つの民族をもってしても、不可能なことである。それは歴史が証明している。「主権者を中心として、国家を中心として世界を一つにしよう。新しい世界に発展させて、希望の世界をつくってみよう」、それを考えた民族、それを営んだ政治家もたくさんいる。しかし、一国家を動員してもなし得なかった。それが歴史の事実であることを考えるときに、果たしてこれはなし得るか、ということである。
それは歴史と共に、多くの人々が考えてきた。しかしそれは、人間を中心として考えたことである。だから、人間を中心として願ったその目的の世界は、人間を中心として、また覆すことができる。甲の人が、理想の世界をつくったとして、もし、それ以上のことを考える人がいた場合には、それは覆される。それを転換させることができる。我々人間の願うその最高の理想世界は、絶対的理想の世界であり得るか。人間を中心として考えてみた場合、相対的理想世界は考えるかもしれない。しかし、絶対的理想世界は考えることができない。だから、人間なりの、人間として願う希望というものは、生まれた環境が違えば違うほど、それは変わっていく。その理想世界は変わっていくに違いない。
自分の命を懸けて、万年の歴史の価値をたたえながら接して、鑑賞すべきその世界たるものは、いったいいかなる世界だろう。こう思うときに、人間同士、頭を使って組み合わせた理想世界は、絶対に、絶対的な立場においての理想世界にはなり得ない。このような結論に帰することを考えるときに、人間以上の絶対なる動機とか、あるいは因縁を結び得る何ものかがあった場合には、それと関係を結んで、全人類が願う目的の世界としてそれを果たし得たとするならば、それは人間同士が組み合わせた理想世界よりは、長く続くであろう。
それがもしも、絶対的で、全能なる神で、一度聖なるものを決めた以上、神自体変えることができないという見地に立つ神であるとしよう。今その神を中心として、果たすべき目的観念が、「絶対的にならざるを得ない」という神の声によって組み合わせたならば、それは人間同士で組み合わせた理想よりは長く続く。それは変わることができない。それ以上の絶対なる人間が生まれない以上は、変えることはできない。
このように、人間のみにおいて考えるときには、絶望に帰する。いつまでも革命が続くという、歴史の悲哀を感じなければならない。その歴史過程には興亡の歴史、盛衰の歴史は繰り返すであろう。そう思うときに、我々人間だけでは、理想というものをもったとしても、それを成すすべがないという結論になる。
その理想というものは、万人に尋ねてみても、万人の心情に問うてみても、そこに逆らう要件をはらんでいる。思えば思うほど希望の要因になり、眺めれば眺めるほど発展の原動力になり得るという理想世界たるものは、人間を中心として果たすということは絶対的に不可能である。だから、人間だけを考えた場合には、悲哀なる歴史観になる。それは、衰亡の極に尽きてしまうような、ある限界内の歴史観にすぎない。そのような希望にすぎないということになる。
(続く)
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次回は、「宗教による文化圏」をお届けします。