2026.07.29 17:00

共産主義の新しいカタチ 117
現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)
ファシズムの背景を「権威と家族」に見る
エーリッヒ・フロム(中)➁
精神文化と物質文化を媒介する家族
ホルクハイマーとフロムは共同研究プロジェクト『権威と家族』の中で、社会学的なエートス論と歴史論、深層心理学的なオイディプス・コンプレックス論と各々異なるアプローチで「社会や家族の中の権威とそれに追従する精神」構造を探りますが、結局はキリスト教社会が「飼い馴らした」と見るのです。
さて、ホルクハイマーを中心としたフランクフルト社会研究所の「目玉プロジェクト」としてフロムが牽引(けんいん)した「権威と家族」の研究は、フロイト主義+「学際的唯物論」と称したマルクス主義によって打ち出され、それは基本的に「ヘーゲル哲学との対決」から成立したといえるのです。
ヘーゲル哲学の説く家族論は、キリスト教の文化的基盤を背景とし、「文化破壊」を標榜する「学際的唯物論」からすれば当然、「反動保守思想」として敵視せざるを得ません。
このプロジェクトのテーマとして「権威と家族」が定められたのにはどのような背景と意味があるのか。先述の徳永氏は『フランクフルト学派の展開』で別掲(文末に掲載)のように述べます。
徳永氏はさらに、これらフランクフルト社会研究所の統合研究プロジェクト「権威と家族」のキー概念となっているのは「自発的服従」であるとし、俎上(そじょう)に挙げ問題視するのは、キリスト教社会における「家父長的権威構造」です。
「奴隷化した家長に隷従する」家族
徳永氏によるとホルクハイマーは次のように解釈します。「市民的家族の崩壊」すなわち「近代家族における家父長的秩序の崩壊」が到来したと見ると共に、家族内における家父長的権威構造の機能変化によって、今や家族は、家族外の権威(政治権力、あるいは「匿名の神」としての経済的必然性)へ同調する「人間類型」の温床となった──。
さらに、「市民社会の成立期においては、家長は、対外的に家族を代表し、家族を守ると共に、社会的威信がそのまま家族内の権威として通用するという『健全な交互作用』という側面を持っていた。ところが、市民社会の進展と共に、家長は、外にあっては『物象化された権威』としての経済的必然性の『奴隷』となりながら、内にあっては『主人』として君臨する。このように実体を失った家長の権威に服することによって、妻や子供は、二重の意味で、家長の権威に服することで同時に社会の権威に服従する」。
そしてそこに「『強制の内面化』による『自発的服従』という機能が働いて、家父長的権威構造の自己保存と再生産を助長する」というのです。
マックス・ウェーバーに由来するこの「自発的服従」という概念について、「ホルクハイマーはそれを人間学的、エートス論的側面から思想史的に跡づけ、後述するフロムは深層心理学的にそのメカニズムを解明する」と、徳永氏はホルクハイマーとフロムの「共同作業」についての全体像を描いています。
徳永氏が「自発的服従」をキーワードとする『権威と家族』における分析を図式化したものが、以下のチャートのようになります。

ホルクハイマーは「強制の内面化としての自発的服従の倫理は、キリスト教のうちで培われてきた……馴致過程への摘発者として、ニーチェへ共感を寄せ」つつ、フロムはそこにフロイトから「オイディプス・コンプレックス」による罪責観念が「権威への服従」をもたらすのだと考えました。それは堪え忍ぶ苦痛というよりは「被虐的な快感」(道徳的マゾヒズム)に基づくものです。
フランクフルト学派の呪縛免れぬフロム
そしてフロムがナチズムと「自発的服従」との問題について分析したのが、主著『自由からの逃走』でした。これはむしろ、フランクフルト学派との「蜜月関係」が終わってから後に著されたものです。
フロムは人間から自由を放棄させるシステムとして機能した「ファシズム=全体主義」として糺弾したものの、その自由を放棄させてきたものは、ファシズムだけではありませんでした。それはフロムが幻想を抱いていた社会主義・共産主義体制にも共通にもつ傾向だったからです。
それをフロムはあえて故意にか無意識のうちにか、無視しました。それがつまりはフロム思想の限界でもあったと言えるのです。
たしかに今日、フロムは「フランクフルト学派」の思想家としては理解されてはいません。しかしながら、いくらフランクフルト学派から「離脱」したとはいっても、結局は、フランクフルト学派の「階級意識でとらえようとする」イデオロギーの呪縛からは免れていなかったのです。このためフロムはベトナム反戦平和運動は正しいと信じ続け、社会主義・共産主義体制下での「自由の抑圧」を認めませんでした。
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プロジェクト・テーマを「権威と家族」とした背景
このような「哲学的構成と経験とを結ぶ」学際的共同研究のテーマとして「権威と家族」が選ばれたのは何故であろうか。それは家族というものが「精神的文化と物質的文化の間の媒介」をなすもの、あるいは「普遍的生が与えられた歴史的形態のうちで、自己を更新するもの」として、前記「社会哲学」の全体志向を充たす恰好のテーマだからであろう。だがこういう理論的な観点と並んで、いやそれ以上に、ここには「市民的家族の崩壊と権威主義的国家の成立との関連」を問おうとする実践的関心が働いている。ここに危機(クリシス)における批判(クリティク)をめざす「批判的理論」の核心があるように思える。
ヘーゲルが目の前にしていたのは、フランス革命とそれに続く19世紀初めの反動の時期であり、ホルクハイマーが目のあたりにしているのは、ロシア革命と、それに続くワイマール共和国の崩壊とナチスの制覇という20世紀初めの現実である。この一世紀の間に西欧社会が経験した最も大きな変質の一つとして、ホルクハイマーは「市民的家族の崩壊」を目の前に据える。
(徳永恂『フランクフルト学派の展開』)
★「思想新聞」2026年6月15日号より★
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