日本人のこころ 112
源信(1)『往生要集』「地獄の思想」の始まり

(APTF『真の家庭』333号[2026年7月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

母の往生を機に『往生要集』執筆
 人はこの世で悪い行いをすると、死後、地獄に落ちてひどい目に遭うという「地獄の思想」は日本人に根強くあります。私の家は浄土真宗だったので、小学生のころ、祖母に連れて行かれた寺で地獄のスライドを見せられ、死んだらどうなるのか恐ろしくなったのを覚えています。こうした地獄観が広まったのは平安時代中期からで、大きな役割を果たしたのが天台宗の僧・源信が著した『往生要集』です。それまでは鎮護国家のためだった仏教が、次第に個人の救いのためにも説かれるようになっていました。

 往生とは、死後、阿弥陀如来に救われて西方浄土に生まれることで、同書は数多くの仏典から、そのための方法を解説しています。もっとも、同書が評判になったのは、リアルな地獄の描写が衝撃的だったからで、地獄に落ちるのを恐れる人たちが、ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱えて、極楽に往生することを願うようになったのです。

 源信は平安時代中期の942年に、大和国(奈良県)の当麻で生まれ、9歳で出家して比叡山に登り、後に延暦寺座主になる良源のもとで修行し、13歳で受戒しました。学問で頭角を現した源信は、修行でも認められ、15歳にして村上天皇から、宮中で『称讃浄土経』を講義するよう求められました。

▲源信(ウィキペディアより)

 源信は弁舌さわやかに講義し、多くの褒美をもらいました。それを母に送り、手紙で報告したところ、すべてが送り返されてきて、「後の世を渡す橋とぞ思いしに世渡る僧となるぞ悲しき」という慢心を戒める歌が添えられていたのです。深く反省した源信は以後、「後生の一大事」の解決のため、修行に打ち込むようになります。後生の一大事とは浄土真宗でよく使われる言葉で、死後、極楽に往生できるかどうかという問題です。

 27歳になった源信は比叡山を下りて各地を訪ね、当時、大日如来が天照大神となって現れたと信じられていた伊勢神宮に7日間参籠しています。その後、南無阿弥陀仏を称えながら町中を巡り歩き、橋を架けたり井戸を掘るような社会事業もして、民衆に人気があった60代の空也にも会っています。

 比叡山に帰った源信は30歳のころから、山頂の奥にある横川に隠棲し、ひたすら後生の一大事の解決を求めるようになります。そして、中国浄土教の僧・善導が確立した「称名念仏」を中心とする浄土思想により「阿弥陀如来の本願に救われた」との実感を得たのです。称名とは仏・菩薩の名(名号)を口に出して称えることで、浄土教では「南無阿弥陀仏」(阿弥陀如来に帰依します)を称えます。

 インドで2世紀ごろに成立した浄土教では、阿弥陀如来は自らの名を称える者を必ず極楽浄土に迎え入れるという誓い(本願)を立てた仏で、サンスクリット語でアミターバ、もしくはアミターユスと呼ばれ、無量光仏、無量寿仏と漢訳されたように無限の光を意味します。聖書の創世記にも、「神は『光あれ』と言われた。すると光があった。」とあるように、神仏が光のイメージで語られるのは洋の東西同じです。仏教には創造神話はありませんが、根源的な存在である仏の、人々の救いに特化した存在が阿弥陀仏と理解すればいいでしょう。

 42歳になった源信は33年ぶりに故郷の当麻の里に帰り、病で伏せていた母に後生の一大事を解決したことを語りました。それを聞いた母は、阿弥陀如来の本願を信じ、往生することができたのです。これを記念して書かれたのが『往生要集』で、貴族はもとより庶民にまで広く知られ、紫式部もその教えを基に『源氏物語』を書いています。最後の「宇治十帖」に出てくる、宇治川に身投げした浮舟を救い、比叡山で看護し、尼に導いた僧は源信がモデルとされています。

黄泉の国と地獄
 ところで、それまでの日本人は死後の世界をどうイメージしていたのでしょうか。古事記神話に、妻のイザナミを亡くしたイザナギが黄泉の国を訪ねる物語があります。地上の国に帰ってくるよう勧めるイザナギにイザナミは、「もう黄泉の国の食物を食べてしまったので帰れない」と答えます。

 それでも嘆願するイザナギにイザナミは「黄泉の神に相談してくるから、その間、絶対に中をのぞかないで」と言って去るのですが、見るなと言われると見たくなるのが男性の心理で、ついにのぞいてしまうと、そこには腐乱したイザナミの死体があったのです。

 怖くなって逃げるイザナギを、恥をかかされ怒ったイザナミは鬼女たちに命じて追わせます。命からがら逃げ出したイザナギは、現世と黄泉の境「黄泉比良坂」に大きな岩を転がして道をふさいだのです。黄泉比良坂の伝承地は朝ドラの「ばけばけ」の舞台になった松江市にあります。

 この話から分かるように、日本人にとって死後の世界はこの世と同じ地平にあり、往来もできて、落ちてしまうような地獄ではありませんでした。つまり「地獄の思想」はインドで生まれた仏教と、中国の「十王信仰」によって日本にもたらされたのです。

 十王とは、地獄で亡者の審判を行う10人の裁判官のことで、その5番目が閻魔大王です。これも、源信の『往生要集』で詳細が紹介されています。

オリジナルサイトで読む