2026.06.22 22:00

魚谷さんの宗教講座 20
仏教編⑳
空海と真言宗
ナビゲーター:魚谷 俊輔(UPF-Japan事務総長)
今回は、空海(くうかい)の歩みについてまとめてみましょう。
実は、空海の幼い頃のことはあまりよく分かっていません。
讃岐国(さぬきのくに/現在の香川県)の豪族の家に生まれ、若き日は私度僧(しどそう)として、すなわち官僧(かんそう)ではなく、衆生(しゅじょう)の僧として修行を積んだと思われます。

804年、31歳の時に空海は唐に渡り、3カ月で梵語(ぼんご)を修め、密教(みっきょう)の第7祖・恵果(けいか)の下で学び、密教の全てを伝授されました。そして恵果から譲られた多くの経典、仏像、仏画、法具の全てを船に積み込んで帰国しました。
帰国後、密教を体系化し、真言宗(しんごんしゅう)を開きました。816年には、高野山(こうやさん)の金剛峰寺(こんごうぶじ)を開きます。ここを本山として日本の真言宗が出発するわけです。
823年には、嵯峨(さが)天皇より京都に東寺(とうじ)を賜わり、真言密教の拠点としました。
空海は仏教だけではなくて、唐の最新技術を駆使した土木事業まで学んできました。それで多くの土木工事を指揮することを通して社会貢献をしました。日本最大の溜池である満濃池(まんのういけ)の改修工事も、空海が持って帰った技術によってなされました。
真言宗では、弘法大師(こうぼうだいし)・空海は死んだのではなくて、62歳の時に高野山で「入定(にゅうじょう)」したと考えられています。すなわち、奥の院で永遠の禅定(瞑想〈めいそう〉)をしているのだということです。

私自身、高野山の奥の院を訪ねたことがありますが、高野山自体がまるでエルサレムを彷彿とさせるような「宗教都市」であることに感銘を受けました。
奥の院の「一の橋」の入口から、空海がいまも瞑想を続ける「御廟(ごびょう)」まで続く参道は、樹齢千年を超える杉や高野槙(こうやまき)の巨木に囲まれた並木道で、静粛な雰囲気が漂っている上に、その両脇には数多くの歴史上の人物や全国の藩主・大名の墓が苔(こけ)むした姿で並んでおり、その神秘的な雰囲気は見る者を圧倒します。
真言宗とはどういう宗教かというと、本尊は大日如来(だいにちにょらい)です。これは宇宙そのもの、万物の源であると信じられています。
主な経典は、大日経(だいにちきょう)と金剛頂経(こんごうちょうぎょう)です。教えの中心は「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」です。これは、人間が現世においてそのまま仏になれるという教えです。
真言宗の実践として非常に有名なのが護摩(ごま)供養です。
「護摩」というのは、「焚(た)く」という意味の「ホーマ」の表音であって、日本語では「ごま」といいます。護摩を焚いて祈祷することによって願いをかなえるのが、密教の代表的な祈祷法であるといえます。
(次回に続く)