魚谷さんの宗教講座 19
仏教編⑲
最澄と天台宗

ナビゲーター:魚谷 俊輔(UPF-Japan事務総長)

 今回は、最澄(さいちょう)の歩みについてまとめてみましょう。

▲最澄像(平安時代)。一乗寺所蔵の国宝天台高僧像10幅のうちの一つ(ウィキペディアより)

 最澄は14歳で出家し、19歳の時に東大寺(とうだいじ)で受戒し、本格的な僧となります。
 彼は官僧として南都六宗(なんとりくしゅう)の教義を学びますが、それに満足できず、比叡山(ひえいざん)にこもるようになります。今でこそ比叡山には延暦寺(えんりゃくじ)という立派なお寺がありますが、当時は山ごもりする所でした。

▲比叡山延暦寺東塔(比叡山延暦寺のウェブサイトより)

 804年、36歳の時に最澄は遣唐使と共に唐に渡り、天台山で天台教学を学び、大乗仏教の戒律である菩薩戒(ぼさつかい)を受けます。
 その後、不完全ながら密教(みっきょう)を修め、約1年間留学した後に帰国します。帰国後、天台宗(てんだいしゅう)を開宗し、僧侶に菩薩戒を授ける大乗戒壇(だいじょうかいだん)を設けるために朝廷に働きかけました。

 当時はまだ、奈良の仏教が権威でした。ですから、最澄は奈良の仏教である南都の諸宗と対立して激しく論争しました。奈良時代に鑑真(がんじん)がもたらした戒律は上座部(じょうざぶ)仏教のものだったので、細かくて厳しく、一般大衆には到底守れないものでした。
 そこで最澄は、より簡略化された菩薩戒を授けることを主張しました。その主張は、最澄の没後まもなく認められ、比叡山に戒壇が設立されます。こうして天台宗の伝統が出発します。

 天台宗とはどういう宗派であるかといえば、中国にもともとあった天台教学を基に、密教の要素、禅の要素、および戒を融合した、とても総合的な仏教であるといえます。主な経典としては、「法華経(ほけきょう)」(妙法蓮華経/みょうほうれんげきょう)があります。

 本山は大変有名な比叡山延暦寺で、滋賀県にあります。比叡山延暦寺は長らく日本の仏教界における最高権威として君臨し続け、後に法然(ほうねん)、親鸞(しんらん)、道元(どうげん)などの「新仏教」の開祖は、皆最初はこの比叡山で学びました。その意味で、比叡山延暦寺と天台宗は日本仏教の母胎であり、ゆりかごのような存在であるということになります。

 天台宗の教えは、誰もが仏になれる種を持っているという「悉有仏性(しつうぶっしょう)」を基本としています。

 さて、やがて比叡山は南都(奈良)と並ぶ仏教勢力となり、平安時代に発展して大きな権威を持つようになります。
 しかし一方で、権威を持てばどうなるかというと、次第に他宗を弾圧したり、僧兵を持つ武力勢力になったりするわけです。ですから天台宗のイメージというのは、日本仏教におけるカトリック教会のような感じです。最も伝統と権威があって、そこからいろんな宗派が分派して出てくるということです。

(次回に続く)