ほぼ5分で読める統一運動 103
統一運動は真の愛の運動である

稲森 一郎

 統一運動の核心は何でしょうか。

 もちろん、統一運動は世界平和の実現、神のもとの人類一家族の実現という究極のビジョンを掲げていますが、その世界平和実現のポイントになる根本要素は何かという問いです。

 ホーリーマザー・ハン、韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁の自叙伝の中に、次のような言葉があります。

 「人間は愛によって生まれ、愛の道を歩み、愛のために死ななければなりません。しかし、瞬間的な愛、条件的な愛に溺れてはいけません。永遠で純粋な愛を持たなければなりません。私たちに必要な愛とは、絶対的な愛であり、真の愛です。真の愛とは、ために生きる愛、すなわち仕えてもらうことを願うのではなく、他者に仕える愛です。
 また、真の愛は絶えず許す愛です。イエス様は、『七たびを七十倍するまで』(マタイによる福音書1822節)許しなさいと言い、十字架上で自分に槍(やり)を向けるローマ兵士を前にしても、『彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』(ルカによる福音書2334節)と祈られたのです」(『人類の涙をぬぐう平和の母』、299ページ)

 真の愛は、永遠で純粋な愛、絶対的な愛、為に生きる愛、他者に仕える愛、絶えず許す愛であるということです。
 このような真の愛がなければ、世界平和の実現は難しいということであり、ここに、人類の最後の挑戦が「真の愛」にならざるを得ないという動かしがたい結論がそびえ立っているのです。

 破壊、殺戮(さつりく)、テロ、略奪などが、毎日、世界のどこかで起きている悲劇の数々は、愛を喪失した世界の姿です。愛を失った世界は悲劇そのものであり、耐えがたい苦痛が広がる世界です。

 加害者と被害者がしばしば逆転して、被害者が加害者となり、加害者が被害者に突き落とされるといったことなども頻繁(ひんぱん)に起きる社会です。

 人間同士の間に愛がないという状態はまさにそういう関係が日常化する社会のことであり、国と国の間に愛がないというのも同じであり、全ての人は加害者であり、また、全ての人は被害者であるといってよい世界です。

 やった人は必ずやり返される、やり返された人は、またやり返すという憎しみの連鎖に終わりはありません。
 ロシアとウクライナの戦争がそうであり、イスラエルとパレスチナの関係がそうです。
 そのような世界であるからこそ、韓鶴子総裁の言葉の意味が生きてくるのです。

 「真の愛は、永遠で純粋な愛、絶対的な愛、為に生きる愛、他者に仕える愛、絶えず許す愛である」という不可能にも近い言葉が、もし実践されれば、どうなるのか。

 ロシアがために生きる愛を持っていれば、絶対にウクライナ戦争は起きません。ウクライナが他者に仕える愛を持っていれば、ロシアも戦争をする気にはなりません。

 イスラエルがために生きる愛を持っていれば、絶対にパレスチナ戦争は起きません。また、パレスチナが他者に仕える愛を持っていれば、イスラエルも戦争をする気にはなりません。

 結局、「真の愛」という言葉の神聖性、至上性、至高性、永遠性の燦然(さんぜん)たる輝きを知る者のみが真の愛を実践するのであり、真の愛を知る故に真の愛を実践してこられたお二人が、文鮮明(ムン・ソンミョン)・韓鶴子夫妻であるというのです。

 統一運動は真の愛の運動なのです。