2026.06.10 17:00

共産主義の新しいカタチ 111
現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)
代議政治を骨抜きにする自治基本条例
松下理論と「市民自治」②
国家による掠取と称し市民立法を正当化
さて、故・松下圭一法政大名誉教授の著『市民自治の憲法理論』は、そのタイトルに表れるように、「市民」が至るところに頻出します。その目指すところは「市民立法」という語に顕著に表れています。
通常、「立法府」と言えば、「司法・立法・行政」すなわち、「三権分立」という場合の「三権」のうちの一つで、「国会」がそれにあたり、日本国憲法でもその旨記載されています。ところが、松下の場合、現在の「国会は真の民主主義を体現してはない(官僚主導による国家主義に掠(かす)め取られている)」(『政治・行政の考え方』)と断じて、この「立法権を市民の手に取り戻すこと」をしきりに息巻いています。
しかし、これは松下理論に基づく「国会内閣制」と同様に、一種の「解釈改憲」にほかなりません。つまり、表では「護憲」を後生大事に唱えながら、その一方で、裏では密かに憲法の構造を「骨抜き」にすることが目論みられている事実は、指摘しなければなりません。
誤った民主主義を盲目的に信仰
かつて古代ギリシャのアテナイで行われた民主主義政体は直接民主政であり、長谷川三千子・埼玉大名誉教授は『民主主義とは何なのか』で、今日「民主主義の語源」とされる「デモクラティア」は「善い意味」では使われず、むしろ宗教的伝統を重んじた「イソノミア」という概念が尊ばれていたと指摘しました。日本国憲法下の日本は、これまでなかったかのごとく「民主主義」ばかりが強調され、その理想形態として「直接民主政」がもてはやされました。
この点はかつてジャン・ジャック・ルソーが私有財産制度廃止と直接民主政を理想とした思想内容が、ロベスピエールらによってフランス革命の理念として受肉化されたのです。
この「ルソー主義信仰」とも呼べるものが、植木枝盛や板垣退助らの旧土佐藩士を中心とした自由民権運動以来、連綿として続いているとも言えます。この「直接民主政」をいわば、現代において実現させようとしたものこそ、松下圭一による「市民立法」の考え方だといえるでしょう。
松下圭一はルソーの直接民主政治論を次のように理想視していました。
市民立法という考え方は、自治体、国を問わず代表機構としての長・議会を否定ないし無視するのではなく、基本の代表民主制度を踏まえ、かつそのバイパスとして直接民主制度の開発を意味します。つまり、代表民主制を基本とするにもかかわらず、市民立法のパイプの〈多元化〉とみなすべきです。そのとき…市民みずからによる条例、国法、ときには国際法の立案・作成あるいは選択となり、アクチュアルな市民主権の発動となるわけです。…代表民主政治においては、ルソーが述べたように選挙のときのみ市民が主権をもつのではないならば、各政府レベルにおけるこの日常の政治ないし立法への市民参加が代表民主政治の土台なのです」(松下圭一『政治・行政の考え方』)
仮に、全国民が「市民代表」として国政にしろ地方政治に参加したとします。国会というものは、ご存じのように、審議が深夜にまで及び、採決が真夜中に行われることも珍しくありません。これ一つとっても、直接民主政の難しいゆえんなのです。
古代ギリシャで哲人ソクラテスは、アテナイ市民に対して様々な論争をして歩いたと言われますが、そういったアテナイ市民たちは「スコーレ」(暇)があったから可能でした。
(続く)
★「思想新聞」2026年5月15日号より★
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