アングル~情報戦に勝て。198
顔の見える家庭連合へ

 「顔が見える」「顔が見えない」という言い方は、物理的に見える・見えないといった単なる「認知」の話ではなく、相手の存在への「認識」の度合いに対しても使われる表現である。

 相手のことを単に「人間だ」「男性だ、女性だ」「大人だ、子供だ」というレベルで認知する段階から、相手の名前や人となり、個性といったところまで認識するようになれば、その関係性は随分、違ったものになるだろう。

 今回紹介するのは、世界日報(デジタル版2026611944分配信)掲載の「弾圧されているのは「信仰心」 宗教2世らがトークイベント」の見出し記事。

 家庭連合という団体の実像は、あまりにも社会に「認識」されてこなかった。
 一般的に、団体や組織(その活動や運動)というものは、その構成員である個々人を通して知られていくことが多い。

 団体の「顔」は見えにくいが、個別の「顔」は見えやすく、認識しやすいものだ。
 家庭連合もまた、テレビに映し出されるあの松濤本部の標札のイメージだけが独り歩きしているようでは、永遠に「顔」を知ってもらうことはできないだろう。

 昨今、団体の幹部だけでなく、二世信者たちが名前を明かすだけでなく、文字どおり顔を出し、自らの人格と共にカメラの前に立ち、自らの思いや情報を積極的に発信していることは、家庭連合の「顔」を社会の人々に認識させることにおいて多大なる貢献を果たしている。

 とはいえ、家庭連合の実体に対する社会の認識の度合いはまだまだ低い。「見える化」の重要性が叫ばれて久しいが、実像ではなく、虚像の存在感の方が圧倒的に勝ってしまっている。

 「顔」を出すことは、諸刃の剣(つるぎ)ともなり得る。リスクヘッジしながらも、社会における宗教や信仰というものの価値を高めるために、宗教団体こそ、顔を見えるようにすることが時代の要請なのかもしれない。

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