共産主義の新しいカタチ 102

 現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
 国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)

「民主主義+社会主義」W革命を企図
パルミーロ・トリアッティ(下)➁

コミンテルンの解消とコミンフォルムへ
 米国はソ連のコミンテルン解散で、得をしたと思っていたはずです。すなわち、ソ連が世界革命を名実共に諦め、一国社会主義の道を突き進むに過ぎないと見くびっていたのです。

 ところが、それは米国の希望的観測に過ぎませんでした。というのも、終戦後直ちにスターリンは新しい共産主義理念による国際組織「コミンフォルム」(共産党国際情報局)を結成したからです。

 このコミンフォルムを中心として、NATO(北大西洋条約機構)に対抗した「ワルシャワ条約機構」が結ばれることになり、ここに本格的な「冷戦時代」が到来することになったのです。この「コミンフォルム」にはもちろん、コミンテルン時代の各国共産党も参加しました。トリアッティの率いていたイタリア共産党もその例に漏れません。

 しかし、1950年代からすでに、コミンフォルム加盟諸国は「民族自決」など完全に無視するソ連の武断統治のやり方に疑問を抱いていました。

 その後スターリンの死によって求心力が低下し、コミンフォルムはスターリン批判と共に1956年に廃止ということになります。

スターリンだけでないソ連帝国体質
 トリアッティが新しく打ち出した「構造改革」論は、世界の左翼人士たちに少なからぬ衝撃をもたらしました。1953年のスターリンの死で、スターリン批判が「解禁」され、「デタント(雪解け)」の時代を迎えます。
 ところが実際には、専制独裁者が替わったとはいっても、1956年の「自由」を希求するハンガリーの人々の「反乱」は、フルシチョフの命令の下にソ連軍の戦車によって武力弾圧(ハンガリー動乱)。まさにこれが「NATO対抗」を謳った「ワルシャワ条約機構」すなわち「ソ連型帝国主義」の本質でした。

「民主主義+社会主義」W革命を企図
 レーニンの率いるボリシェヴィキが成し遂げた「ロシア十月革命」は、マルクスの「予言」(高度に発達した資本主義社会において社会主義革命が必然的に起こる、とした説)とは異なる結果をもたらした「故事」を引きながら、今度はレーニンの理論的言説にも「修正」が加えられることはあっても可ではないか、というトリアッティの「言い訳」は、責められるべきものではなく、同じ「社会主義」への道を歩もうとする点で、選択肢の一つだ、というものでした。

 こうした考え方は、冷戦の真っただ中においては、ソ連を「共産主義国家の総本山」と見たり、少なくとも一目を置く「スターリニスト」と呼ばれたソ連擁護派(日本では共産党)や、「世界革命」を唱えたトロツキーを評価し「反ソ・反スターリニズム」をスローガンとした「トロツキスト」勢力は共に「暴力革命」を否定することはありません。

 もちろん、ここでトリアッティも「暴力革命」を全否定するわけではありません。キューバ革命でのカストロ政権登場も積極的に評価しました。

(続く)

「思想新聞」2026年3月15日号より

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