ほぼ5分で読める統一運動 88
宗教は神から来たもの

稲森 一郎

 2026年34日、世界平和統一家庭連合に対する厳しい判断が高裁から下されました。
 信者一同は深い悲しみを覚えつつ、それでも地上天国実現のために後退することなく、前進しなければならないという不動の決意を、天の父母様(神様)と天地人真の父母様の前にささげています。

 『原理講論』には、このように記されています。

 「古今東西を問わず、いかなる悪人であっても、悪を捨てて善に従おうとする本心だけは、だれでも共通にもっている。だから、何が善であり、いかにすればその善をなすことができるかということは、知能に属することであり、時代と場所と人がそれぞれ異なることによって、それらは互いに衝突し、闘争の歴史をつくってきたのであるが、善を求めようとする人間の根本目的だけは、すべて同じであった。では何故(なにゆえ)、人間の本心は、いかなるものによっても取り押さえることのできない力をもち、時間と空間を超越して、善を指向しているのであろうか。それは、善の主体であられる神が、神の善の目的を成就するための善の実体対象として、人間を創造なさったからで、たとえ堕落人間がサタンの業(わざ)により、善の生活ができないようになってしまったとしても、善を追求するその本心だけは、そのまま残っているからである。したがって、このような人間たちによってつくられてきた歴史の進みいくところは、結局善の世界でなければならない」(『原理講論』、141ページ)

 さらに以下の記述を見ると、歴史上の注目すべき事実を鑑みる時、今回の世界平和統一家庭連合に対する判決は非常に大きな問題を抱えていると言わざるを得ません。

 「人間の本心がいかに善を指向して努力するとしても、既に悪主権の上におかれているこの世界においては、その善の実相を見ることができなくなってしまっているので、人間は時空を超越した世界に、その善の主体を探し求めなければならなくなった。このような必然的な要求によって誕生したのが、すなわち宗教なのである。このように、堕落によって神を失ってしまった人間は、宗教をつくり、絶えず善を探し求めて、神に近づこうとしてきたので、たとえ宗教を奉じてきた個人、民族、あるいは国家は滅亡したとしても、宗教それ自体は今日に至るまで、絶えることなく継続してそのまま残ってきたのである」(同、141ページ)

 宗教を滅ぼしたり禁止したりすることはできないということです。
 なぜなら、宗教は人間の最も深い心の欲求から来るもの、すなわち「本心の欲求」によって長い人類歴史の中で生まれ、人々の魂を導いてきたものであるからです。

 従って、宗教を抹殺しようとする国家の目論見(もくろみ)や迫害などは、どこの国でもことごとく挫折に終わっており、かえって宗教の方が存続し、宗教を迫害した国家の方が反対に滅んでいるという峻厳(しゅんげん)な事実を見るのです。
 これが歴史の教訓です。

 日本の司法が、宗教の本質を見誤り、浅はかな判決に至ったことは、大きな禍根を残すことになるでしょう。
 民法問題を刑法の適用へと裁判のやり方をすり替え、変更したことや、資料・証拠などの偽造・捏造(ねつぞう)などが見られるなど、さまざまな問題点なども多く指摘されています。

 根本的問題を引きずりながら、時間のかかる法廷闘争が待っていることは避けられないでしょう。
 いずれにせよ、宗教の本質を正しく認識することが何よりも重要です。