2026.02.23 22:00

魚谷さんの宗教講座 3
仏教編③
苦行と瞑想の末に真理を悟る
ナビゲーター:魚谷 俊輔(UPF-Japan事務総長)
お釈迦様は29歳の時、「最高の真理をつかむまでは城に戻らない」という覚悟で、妻子を置いてカビラ城を出てしまいます。
その後、6年間にわたって修行の生活をするわけですが、近隣の国に「マガタ国」という国があり、その首都である王舎城という所に入っていって、先生を探し求めます。
当時のインドの宗教はバラモン教でしたが、バラモン教にもいろいろな先生がいて、例えば瞑想(めいそう)のやり方を教えてくれる先生がいました。
当時からヨーガ(ヨガ)のように、「禅定(ぜんじょう)」(座禅瞑想)という習慣があったのですが、禅定の目的は、全ての執着を捨てることにありました。
そこでお釈迦様は、禅定を行う先生の所に弟子入りするのですが、やはりお釈迦様は天才的な宗教者だったのでしょう、すぐに無執着の境地に到達してしまって、簡単に先生を追い抜いてしまったのです。
そこでこれ以上学ぶことはないということになり、誰にも師事することなく、お釈迦様は自ら苦行の生活を始めます。
それは超人的な苦行の生活であって、後にお釈迦様は、自分は断食をはじめ、「他の誰よりも苦しい修行を行った」と語っています。すなわち難行苦行を実践し、一生懸命自分の肉体をいじめて、修行をし抜いたということです。
しかしどんなに修行をしても悟れなかったのです。
そこでお釈迦様は6年近くにわたる苦行生活をやめて、禅定、すなわち深い瞑想に入ることになるのですが、苦行をやめた時に、スジャータという少女がお釈迦様に出した乳粥(ちちがゆ)が断食で傷んだ体を癒やしてくれたので、非常に良い供養になったというのは有名な話です。
お釈迦様が菩提(ぼだい)樹の下で瞑想をしている時に、次々に恐ろしい悪魔が現れて、お釈迦様に悟りを開かせまいと誘惑しました。ある時は恐ろしい形相で、「おまえなんか悟る資格はない」と脅したり、あるいは美しい女性の姿で誘惑したりしたそうです。
そのようなさまざまな雑念、悪魔の誘惑に打ち勝ち、瞑想に入って8日目の12月8日の朝、ついに真理に目覚めてお釈迦様は「仏陀(ぶつだ)」となられたわけです。
これを「成道(じょうどう)」されたといいます。
おそらく長年の修行が悟りを開くための何らかの条件となったのでしょう。その土台の上で瞑想をして真理を悟られ、それから説法の旅に出発されるようになったのです。
(次回に続く)