愛の知恵袋 48
不遇を乗り超えた息子の奇跡

(APTF『真の家庭』158号[12月]より)

関西心情教育研究所所長 林 信子

長男の誕生日

 12月のわが家は、1日が私の、10日が娘の、24日が息子の誕生日と続きます。主人は「物入りの12月」とボヤキつつ、楽しそうに皆に「何か欲しい?」といつも聞いていました。

 長男が高校1年生の誕生日、私は乾杯の後「お兄ちゃん、おめでとう。今日は特別な話をプレゼントにします。あなたが5歳の時、一緒にお風呂に入った時、『ママのお腹にキズみたいなのが並んでるのはなぜ? ケガでもしたの?』と聞いたわね」「うん」「これね、あなたが大きくなったらお話ししてあげようねと私は答えたの覚えてる?」「うん」「今年お兄ちゃんは16歳、昔なら”元服”。今だから大人として話しましょう」

 あなたの出産予定日は大晦日だった。でも12月21日すぎ、頭がママの胸にあり、足がお腹の下にあった。逆児(さかご)だった。神戸大学病院の主治医が「帝王切開で出すか、死産にして下に下ろすかですが、奥さんは若いからすぐ次ができる。出産が始まる前に決めないと…」「先生、正常位に戻るか確かめて下さい。私も頑張ります。次の子ができても、この子は二度と宿らない——正常に戻らなければ帝王切開でお願いします」。そこで、力のある男性医が力一杯お腹を押し胎児の体を横向きにし、一休みして汗を拭いたら、胎児はポンと元の位置に返った。夕方まで何回か繰り返し、私は痛さをこらえた。結局、正常には戻らなかったので、帝王切開に決めましたが、その時まさか胎児の耳がつぶれたとは思いもよらなかった…。

 ここまで話した時、息子が泣きました。「お母さんのお腹のキズは僕のためだったのか。お母さんごめんな、知らなかったよ、許してくれな。僕、親孝行するから——」

もう少し話そう

 あなたは3キロ以上あり、黒い髪で元気いっぱい産まれてきたのよ。あなたが2歳の時、妹が生まれた。幼稚園は楽しく、友達もたくさんできた…。

 耳ゆえに、いじめは小学校から始まった——。

 4月、初めての参観日、お母さん方が後ろに立つ。「この級(クラス)に英語のできる子がいるんだって!」「エッどの子?」「直ぐ分かるわ、あのね、片耳がないの」「アッ、あの子ね」——ウチの息子のことだった…。小学校では、思い切りいじめられた日もあった——。お兄ちゃんは体を震わせながら帰ってきた。「ママどうして僕だけ耳がないの?『”ちんまい耳””つぶれの耳”』って言われるんだ」と泣いた。喧嘩(けんか)になると直ぐ言われたらしい。

 パパに相談したら、「耳とは何のために有るんだ? 人の声や音を聞くためだろう? お前の耳は鳥の声もピアノの音も聞こえる。立派じゃないか。男らしく堂々と歩けよ。形の方は、医者が中学生になったら手術したらいいと言ってた」と励ましてくれました。

手術の相談へ

 いよいよ小学校を卒業。春休みに予約していた大阪の「S形成」に行く日が来た。耳のつぶれた人たち(有名なボクサーたち)の写真を担当の人が見せてくれ、手術の時間や方法や過程を聞いている間、息子は気乗りしない態度——この日を楽しみにしていたのに——。

 ついに、長男は「やっぱりもういい帰ろう」。帰路、喫茶店に入り話し合いました。「僕、もういいよ。手術は止めた」「エーッ」「いいんだよ。僕、今朝ボウリングに行ったろう? 小児マヒの子らが来てた。どの子もガーターばっかり。でも、どの子も楽しそうだった——。それに比べると、オヤジが言うとおり僕の耳なんて何でもないことだったんだ。僕は、二度とグチらない。母さんも忘れてくれよ」

そして30年が過ぎた——

 今年の正月、妹夫婦より30分早く私の家に着いた息子に、「今年変わったことあった?」「うん、映画に出た」「また通行人?」(息子はタレント養成所を経営しています)「イヤ、外科の医者役、真正面からアップだよ」。思わず振り返った私に、息子は笑いました。「母さん、耳だろ、耳ね。生えてきたんだよ。ホラ!」と髪を両手で上げて、両耳を見せてくれました。「僕も驚いたよ。3年くらい前の朝、鏡に両耳映って、信じられなかったよ。母さんに一番に報告しなきゃと思って、忘れてた——」。底抜けに明るく楽しい顔でした。

 その夜、亡き主人に報告しました。主人は、「知ってたよ」と笑っているように感じました——。